29/04/2007 マチネ
まず言えるのは、チェーホフの戯曲の強烈さ、ということで、まず、1点目。そして、その強烈な戯曲にそのまま乗っかろうとすると、実はそんなに甘くて優しい戯曲ではなくて、演じるにはかなり厳しい戯曲なんだろうということが、2点目。その上で、黒テントによる上演である。
乾電池のかもめは余りにも強烈で忘れられないが、この、黒テントのかもめも、安心して観ていられた。何といっても役者に力があるし、クサい演技は 常に排除しようとするベクトルが働いているし、そういう意味で、チェーホフが戯曲の中に仕掛けたハードルをクリアしながら、そこに某かのフレーバーを忍び 込ませる遊びも忘れていない、ということか。
気になったのは、小田島先生の翻訳、ですね。大体、原本ロシア語なのだが、小田島先生は英語のどのバージョンを底本にして翻訳したんだろう?かつ、やはり言葉の選択が翻訳劇チックなのが痛い。
そもそも全てのシーンを現代日本にまるっきり置き換えて贋作を作っても通用するような芝居で、「現代日本語口語」で演じられないのは惜しい。 (チェーホフが当時の口語ロシア語で戯曲を書いていないとすれば話は別だけれど)殊かもめについては現代日本語口語への大胆な翻案があってもおかしくな い。翻訳劇台詞への照れは、乾電池かチェルフィッチュくらいに芝居を壊さないと払拭できないような気もしています。
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