2010年3月7日日曜日

快快 Y時のはなし

06/03/2010 マチネ

素晴らしい舞台だった。快快の表現の力強さを、これほどまでに前提条件や一定の留保なしに、素直に、ポジティブに受け取ることができたことは、今までなかったと思う。

快快の役者だから身体が動くのは当たり前、花があるのも当たり前、快快の舞台だから美術がおしゃれで小道具も気が利いていて当たり前、そういう当たり前に加えて、さらに、人形と人間の間の危うくもバランスのとれた行き来、おセンチに陥る寸前でさっと引いてみせる「子供の視線」への郷愁、過剰なおふざけととらばとれ、すべては「観客へのメッセージ」ではなくて「観客が楽しむ舞台の完成度」に向けて奉仕するのだという、極めて真っ当な命題に向けた役者・スタッフの相互の了解度の高さ、そうしたもの全てが、よけいな講釈なしに舞台にのっかっている。

「学童保育を舞台にしたファンタジックメロドラマ」と銘打っているから、「メロドラマ」であり「学童の話」であり「ファンタジー」である。当たり前だけれども、学童がでてくるファンタジーにメロドラマが絡んで、面白くなった試しが今までにあったか?僕には思い出せない。Nick Hornby の "About a Boy" は学童のでてくるメロドラマだが、ファンタジーはない。「千と千尋」「トトロ」「チャーリーとチョコレート工場」「ジェームズとジャイアントピーチ」は傑作学童ファンタジーだけど、メロドラマはない。「紅の豚」は傑作メロドラマ、ファンタジー付きだが、学童はでてこない。どうにも思い出せない。

快快の連中、「是非子供も連れてきてほしい」と言ってたけど、本当に、娘や甥っ子たちに是非見せたかった。
どなたか「大人も子供も楽しめる、学童がでてきてファンタジーでメロドラマな芝居がないかしら」とお悩みの方がいたら、迷わず快快を呼んでいただきたい。彼らも相当これから忙しそうではあるけれど、これは是非、おしゃれな原宿の一角から飛び出して、日本中で(また世界中で)本当にたくさんの人々に観てもらいたい。舞台芸術の(数あまたあるだろうがそのうちの)一つの結晶点として末永く残ってほしい。そういう舞台だった。

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