2010年3月7日日曜日

北九州芸術劇場プロデュース ハコブネ

05/03/2010 ソワレ

東京初日。間違いなく、傑作。

これまでの松井作品と比べて、いろんな意味で広がりが感じられ、手触りが遥かに柔らかく、そして、作品世界が「突きつけられる」よりもむしろ「ソフトに観客を囲い込み、一人ひとりにしっとりと触手を伸ばしてくる」感じがした。
「なぁんだ。エッジを立てない松井芝居だって、十二分に面白いじゃないか。」という極めてポジティブな驚き。

もちろん、松井変態ワールドは明らかに持ち込まれており、かつ、「今ここで起きていることだけ」を頼りにして、人間の「謎」や「奥行き」から解放されること、という問題意識もまた、明らかに継続しているのだけれど、しかし、その中で、今回は特に個々の役者に付着した「澱」のようなものに対して、いつになく松井演出が寛大であると感じる。

それには、この作品が北九州芸術劇場のプロデュースで、松井氏以下サンプルの面々が現地に滞在して制作した作品であることも大きくはたらいたと思う。工場からテーマパークの展示場へ、はたまたその運命やいかに、という設定は、20年近く北九州市に実家があった小生には「スペースワールド」や「小倉玉屋」や「黒崎と小倉の両方に合ったそごう」や「東映会館」や「西日本総合展示場」を思い出させる。
そういう風に舞台に「のっかった」役者達を眺める僕たちは一体何者でしょうか?何様でしょうか?
舞台に居る「展示品」としての役者達は、生身でしょうか?演じる駒でしょうか?かれらはロボットで代替できるでしょうか?僕らの父祖はそこにいるでしょうか?小倉の人、姫路の人、室蘭の人、ウェールズの人、その人たちの父祖はそこにいるでしょうか?

特定の記憶をたぐらせるようで、実はそのように世界が閉じていかないのにも驚く。今回は「東京」という、極めて短期間の記憶しか持たない都市で上演されたのだけれど、「北九州の観客」「東京の観客」だけでなく、もっと色々な世界の地域でこの舞台が「展示」されたときに、観客の記憶・歴史といったものがどう喚起されるのか、興味が尽きない。
が、一方で、もしもキャスティングが変わったときに、この作品の強度が保たれるのだろうかという点には、良し悪しあろうが、疑問符もつく。そこは自分の中でも扱いに困る命題ではあります。

0 件のコメント: