2009年8月8日土曜日

パラドックス定数 五人の執事

05/08/2009 ソワレ

自分でコントロールできない仕事の事情とはいえ、開演時刻を20分過ぎてからの入場。パラドックス定数の芝居を考えると「開演後の入場お断り」と言われても仕方の無い状況だったが、入れていただけました。まずはこの場を借りて関係者及び周囲の観客諸氏にお詫び・お礼申し上げます。

なので、これを読んで小生が「誉めすぎ」と思ったなら「最初の20分観てないクセに誉めやがって」と思ってください。また、「この芝居を必要以上にくさしている」と思ったら「最初の20分観てないクセに何言ってやがる」と思ってください。

が、遅れて入ったからといって大きな筋立てのポイントを観逃したとは思っていない。残り70分の間に起きることで充分バックアップ可能な、「意外性」「新奇さ」に頼らないフレームになっていたからである。ストーリーの展開で引っ張るよりもむしろ各場面・局面での5人の男優の立ち居振る舞い・舞台の構図・ウケセメ(失礼ながら!)に視点が向くように創られているのである(もちろんあの、いかにもインチキっぽい、太宰の「斜陽」のような、過剰に丁寧な言葉遣いも含めてですが)。

そういう佇まいこそが、「わたしにとっての」パラドックス定数の本旨なのであって、それはとりもなおさず「何も芝居というメディアじゃなくても良いではないか」との批判に小生が「それは、そうですよね」と頷いてしまう理由でもある。「個」を捨てて「物語」や「メッセージ」「人間賛歌」に俳優の全てを捧げさせてしまう芝居は星の数ほどあるが、「個」を捨てて佇まいに俳優の全てを捧げさせる芝居はそんなには無い。と思う。そういう小説はあるが(高村薫)。

定刻前に入場していたツレ(パラドックス定数初見)も大方小生の見立てに異議なく、胸をなでおろす。芝居じゃなけりゃなんだということで、「敢えてキズをあげつらえば役者が若すぎる。年寄りの役者揃えて、映画でも出来るだろう」ということになり、キャスティングについて家族会議。
定番は軸にアンソニー・ホプキンスでキマリなんだろうけど、あえてハリウッド風豪華キャストに拘れば、
ニコラスケイジ・ブラッドピット・ジェレミーアイアンズ・ジョンマルコビッチ・イライジャウッド
では如何か。まぁ、自分で言っといてなんだが、これで嵌らないことはないけど、こんなキャスティングの映画観るなら、今日の芝居の方が千倍良いや。

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