2009年8月27日木曜日

少年王者舘 夢+夜

22/08/2009 ソワレ

体調の悪いときに休んでりゃいいものを、観に行こうか行くまいかうじうじ悩んでいたら、柴幸男氏が大絶賛しているのを読んでしまったものだから、
「こういうときは血反吐はいても観に行くのが務めである」
と、スズナリへ。

結果、血反吐は吐かなかった。体調も、むしろ良くなった。と思う。観てる間だけは。
天野演出の芝居は観たことがあったけれど、少年王者舘、劇的に面白かった。少年王者舘、おそるべし。

僕の小さなキャパシティで理解していた「芝居」なるものは、もとより作・演出の脳味噌の想定を「超えた」ものが、劇場という場によって、また、観客の眼を通して、産まれるプロセスだと思っていたのだけれど、

一個人の妄想がことば・役者・音・光・劇場全体を支配してしまうおそろしさ。この芝居は天野氏の妄想の外側には一歩も出ていないはずなのに、その妄想の世界の広さ・深さにおびえてしまった。なんという妄想のキャパシティ。そして妄想なのにコンマ一秒まで精緻にできあがっとる。僕にはそこまで自分の妄想を寸分漏らさず直視する勇気はない。

登場人物も、色んな名前がついているけれど、結局、作・演出の分身その1、作・演出のアニマその1、分身その2、アニマその2、分身その3・・・、と、結局出てくる人みんな作・演出の分身で、そこには「役者の自我」なんてものが介在する余地はひとっつもなく、それを嬉々として演じる役者の潔さ。その世界にぐいぐいと呑み込まれて行く事のエクスタシー。

これだけ自身の妄想で凝り固まった世界を創れる人ならば、芝居でなくて他のメディアを使った方が、呑みこまれる方の入り易さも増す筈だし、80年代風言葉遊びを使わずにシーンを繋げる筈だ、と、すこーし思ったりもするけれど、やっぱり、
「この速さでは、そちらにタイミングよく着けません」
みたいな「物理的な限界」を敢えて妄想の世界に持ち込むことで、世界が自転・公転するスピードを制御しているようにも思えて、それもおそるべし。

0 件のコメント: