2009年8月20日木曜日

飴屋法水 3人いる! 再見

20/08/2009 マチネ

飴屋演出による多田淳之介戯曲「3人いる!」の日替わり12バージョン公演、2度目。
美術・音響・照明・趣向全て変えて、でも台詞は多田戯曲にほぼ忠実に。

第一印象は、「あぁ、芝居の演出ってこんなに楽しそうなことなんだ」ということで、
① 演出家の「解釈」を説明する、あるいはそれにそって戯曲を「説明する」演出
② 戯曲の世界・可能性を押し広げる可能性としての演出(そういえば、多田氏がこないだ1+1が何になるかを愉しむ、とか書いていた記憶があるな)
の2通りがあるとすれば、まさに②のプロセスは、楽しいに違いない。観ていても楽しいし。

で、その可能性の拡張に気がつくことに、「上演される演劇を観ること」の愉しみがあるのだとすると、今回の日替わり12バージョンは、観客にとっても創り手にとっても、その気付きの契機として提示されているのではないか、とちょっとおもったわけである
(残念ながら、そうだとすると、小生は、リトルモア地下を2回訪れるまでそれに気がつかなかったのだが)。そうか、そういうひとまとめでのパッケージというか、展示というか、そういうものだったのか。なぁ?

ちょっと待てよ。そもそも、本来、芝居って同じ演出でも1回1回違うんだし(観客の客層も含めたトータルの劇場のあり方は、絶対に違う)。でも、だからといって毎日観たりはしないし(僕は何度も観たりするけれど)。そう。だから、大抵の観客は1回きりしか観ないよ。芝居って。

だから、
①「今日の飴屋さんはどういう演出なのかなー?」と、楽しみにしながら複数回リトルモア地下に行くこと
②「飴屋さんはどういう演出なのかなー?」と、楽しみにしながら1回だけリトルモア地下に行くこと
③1度リトルモア地下に行ったことをすっかり忘れてしまって、もう一度「飴屋さんはどういう演出なのかなー?」と、楽しみにしながら再度リトルモア地下に行くこと
この3つは、本当は、同じように楽しめるはずなんだ。「1回きり」を味わいつくすということに命かけてたら。

でも、僕は、「3人いる!」飴屋演出を2度観るまで、それに気がつかなかったわけだ。
まだまだ、修行不足。

今回バージョンの印象としては、ウンジンさんのバイリンガルな頭が、うちの娘のバイリンガルな頭の脳内プロセスとシンクロしている感じがして、とても興味深かった。
例えば、うちの娘は、英語⇒日本語、日本語⇒英語の翻訳を常にしているそうで、そしたら、考えてるときは何語で考えているかというと、どうも、トピックによってそれが切り替わってる感じなのだ。
すなわち、言語Aのわたしと言語Bのわたし。その橋渡しをするわたし。わたしは、3人いる。
そういう感じ。それを娘にも伝えたが、どうもピンとこなかったみたい。

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