10, 24, 25/08/2009
4回公演、都合のつく範囲で3度お邪魔した。こう書くと、何だか追っかけみたいで、かつ、こないだ飴屋演出「3人いる!」 を観て激しく自らの修行不足を感じたにも拘らずまぁたまた「1回こっきり」に命を賭けきれない自分がちょっとはずかしいのだが、まぁ、要は、欲望に素直なんだと思ってください。
http://tokyofringeaddict.blogspot.com/2009/08/3_20.html
と、先日も書いた通りなので、おそらく日替わりメニューであること自体にはそんなに意味は無くて、多田氏もアフタートークでCastaya氏のメッセージとして、
「Castaya氏としては(見た目にかかわらず)毎回同じことをやっているんだと思います」
ということを話していたし、そうか、おんなじことをやってたのね。
今回のCastaya Projectを僕なりに「名付ける」とすると、「Castaya氏による名付けのレッスン」ということではなかったかと思っている。
<以下、ネタバレです>
第一講: 明らかに多田氏でない人が出てきて多田氏を名乗る。舞台上の人たちを「なっつん」とか「永井さん」とか「柴さん」とかと呼んで、芝居の稽古をする。(という芝居をする)。名付けが、どれほど名づけをする主体の恣意にかかっているか(適当に扱われうるか)を、観客は学ぶ。
第三講: 2人芝居を繰り返す。初回は動き・小道具なし。二回目は役を入れ替えて動き・小道具あり。初回では「呼ばれる」だけで実体が分からなかったものが二回目になって次々に指差され、名指され、より「芝居らしく」なる(しかも、登場人物2人には、名前が無いのだ!)。実体を伴う名付けのプロセスが、対象を持たない言葉から始まる観客の妄想のなお一層のジャンプの手助けをすることを、観客は身をもって感じる。
第四講: 舞台上の人が自分自身を「名付けていく」=「名乗る」。俳優となり、演出家となり、観客となり、芝居となる。観客は、ラストにかけて、舞台の構造や演劇空間の中での役割についても、「観客自らが命名し、能動的に構成することが出来る。芝居の始まりと終わりについてすら自分で名付けることができる」ということを感じる。
こう書くと屁難しく感じるかもしれないけれど、要は、ごっこ遊びをするときの、「じゃあ、こっから先は地獄ね!」「僕がライダー2号ね!」という名づけであっというまに世界が立ち上がるキレと、なんかのきっかけでプイと子供があっち行くと世界が終わってしまったりするキレと、そういう時のステキな感覚を、Castaya氏の、かなり丁寧に作られた導線を伝っていくことによって、劇場の中でじっくり(考えながら)味わえた、ということであります。
ごっこ名付け体験と、それに類似した芝居幸せexperienceの、いわば見える化、ではなかったかと思っている。
それと、観客と演じ手の「主導権の在り方」ということも考えたのだけれど、それはまた長くなるので、追って書きます。
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