2008年7月21日月曜日

青年団国際演劇交流プロジェクト ハナノミチ

20/07/2008 ソワレ

6月のソロパフォーマンスを観たときに、
『7月の「ハナノミチ」パフォーマンスで、もしテクストがもっと「伝わる」ように演出が変わっていったら、それは僕にとっては面白くないのかもしれない』
と思っていたのだけれど、まさにその通りになった、と思う。

やはり、芝居が始まるなり、僕はテクストに対して耳をふさごうとしてしまって、それは、翻訳がどうこうとかいうのではなくて、(これはパフォーマ ンスの後半、テクストが耳に入り始めて気がついたのだけれど)そもそもテクストの内容が作者のマスターベーションじゃねーか、ということなのだ。

要は、異邦の地、京都、異邦人なオレはひとりぼっち。さびしかったり、娘のことや別れた配偶者のことを考えたり、「あ、オレが今感じているのって、ひょっとして、空?」みたいな。岩井芝居の一人称なんて屁でもない、究極の一人称。要は、独りよがりでつまらない。

「日本語に翻訳したテクストなので、フランス人演出家の手に負えなくなってしまった(伝え方という意味で)」という考え方もあるかもしれないが、逆に、フランス語のテクストとしてフランス人が聞いたら、シンプルにつまんないのではないか。どうせ作・演出家には日本語分からないのだから、と観客も割り切って、アルファベット変換して「エグゾティックな音の連なり」として聞けば、内容に立ち入らなくて良くて、大丈夫かも。

役者たちの獅子奮迅の活躍が、
(註:ベッカムがシメオネにぴょこたん蹴りを入れて退場を喰らい、イングランドがアルゼンチンに敗れた試合で、ホドル監督は残ったイングランドの選手達の戦いぶりを、文字通り「あいつらはライオンのように戦った」と褒め称えた)
あたかも、「テクストに耳を傾けないでくれー。おれたち、テクスト以外のところでこんなに面白いことをしてるんだからさー。」というように見え て、痛々しさすら感じる。でも、そこに青年団の役者達の底力を感じて、というのも、その緊張感で1時間50分、集中力を持続して、観客の眼を引きつけ続け るわけだから。

安倍健太郎の立ち、多田淳之介のテクストのあしらい方、鄭亜美の声の説得力、工藤倫子の存在の通奏低音な安定感、熊谷祐子の動き、兵藤公美の視野の広さと舞台上で起きていることの掬い取り方。それぞれが個の能力を発揮しながら、モーメントを交換していく。
(まるで、調子の良いベルカンプとアンリとピレスとヴィエイラとエドゥとコールとローレンが持ち場を守りながら自在にパスをまわしているかのように。その間、レイ・パーラーがフィールドを走り回って相手ミッドフィールダーを倒しまくっているかのように。)
全員が舞台上で起きていることに対して集中を切らさず、確実に瞬間をキャプチャーする力を満喫した。ヤン・アレグレも、そういう瞬間を掴む能力は備えているのかもしれない。

後半、舞台が壊れて、役者の持ち駒が尽きた頃になって、テクストが浮き立ってくると、ちょっと引く。ところが、9-1で川隅奈保子がテクストを話 すところだけは、なんだか見とれた。中身は知らないけれど。役者が舞台に立っていて、音を発しているだけで観ていられる、ってこういうことか?不思議だ。

公演中、音楽は全く使われなかったけれど、僕の頭の中にはなぜか開演直後からRadiohead の Optimistic がかかりっぱなしで、それもあってか、墨一色で汚されていく舞台に、いろんな色がぶちまけられている感じがして、それもまた楽しかった。

結論。テクスト以外は全部良し。

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