2008年7月7日月曜日

地点 三人姉妹

06/06/2008 ソワレ

初日。
叔母に「関西で面白い芝居はあるか」と聞かれて地点を挙げ、挙げてしまった以上時間をとってお付き合いせずばなるまい、という口実で、大阪まで来た。
三浦演出の三人姉妹は春風舎で見逃していたので、一度観たかったというのもある。新幹線の往復チケット取った後になって、秋に東京に来ることが判明。まんまとはめられた。

ということで劇場に着くと、Mさんとでくわす。初めて紹介されたのが那須のなぱふぇす、次に顔をあわせるのが大阪で地点の初日。M氏はその後午前零時開演のやみいちこうどうに出かけていったが、いやいや、ホント、好きモンですねえ。かないませんわ。その他、いろんな人に出くわす。美術の杉山にも出くわす(初日だから一種当然か)。芝居がハネた後、なぜか叔母と二人で打ち上げにもお邪魔した。なにがかなしうて大阪まで来て杉山と飲む?まあ、叔母は楽しかったみたいで、それがなにより良かったのだけれど。

で、肝心の芝居だが、これは、本当に、観に来て良かった。
まさに公演中舞台上にあるものすべてに演出の意図が行き渡っていて、役者も舞台も戯曲も音も、すべて芝居の切り離しえない部分となっている。それがすごい - と感じるということは、じゃあ、常々見ている芝居では演出の意図が行き渡っていないということか?いや、そうじゃないよね。

おそらく、自分としては、芝居の中の時空の「粗と密」を楽しむ部分はきっとあると思っている。三浦演出はその「粗」を許していなくて、まさに「芝居を作りこむ」とはこういうことなのか、と思わせる。役者・音響・照明・美術・舞監、みんな、すごいストレスにさらされていることだろう。
で、そういう、芝居の中で起こっている・中にあるすべての事物について、「あれはどういう意図なのか?」と問うた時に、演出家から100%答えが返ってきそうな感じって、果たしてどうよ、ということはすこーし考えたけれど。すごい気合を入れて描き込んだ油絵みたいな印象が強烈に残る。

もちろん、一筆書きの一字だって、面白いものは1時間観ていて飽きないものなのだ。そこら辺のことをウンウン考えてしまった。東京公演も大変楽しみ。それまでにありったけ考えておかなくちゃ。

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