2016年5月3日火曜日

Uncle Vanya

19/03/2016 19:30 @Almeida Theatre

新進気鋭、このところ、1984やOresteiaと、続けざまにAlmeidaでヒットを飛ばしているRobert Ickeの演出によるチェーホフ。期待に違わず素晴らしかった。舞台を19世紀ロシアから現代UKに置き換えて、しかし、それが妙なへつらいや観客への媚びではなく、今、ここで、この戯曲を上演する理由って何だろうという問いへの真摯な回答になっていると感じられた。戯曲に忠実に、コンテクストに敏感に、そして力強い。

地方にとどまって、地道で無味な暮らしを続けながら、都市に暮らす「遊民」を養う姿は、19世紀ロシアや現代UKにもあったのかも知れないが、筆者自身にはどうしても、昭和30年代以降の日本に重なって映る。それは、高度成長期に「輝く未来」を手形に親のすねをかじった筆者の両親や、バブル絶頂期に大学生をしていた筆者自身の姿である。筆者自身も「田舎嫌い」を自認しているけれども、例えば、新聞記者になる夢を諦めて田舎の地主として暮らした母方の伯父(伯父の楽しみは、テレビでNHKのクラシック音楽を聴くことである)は、この芝居、どう映るのだろう。そもそも彼らは、やはり田舎の暮らしに倦んでいるのか、それとも、彼らは表面上は田舎暮らしに倦みながら、実は、その地道で無味で退屈な暮らしになにがしか歓びを認めていたりするのだろうか?戦後50−60年かけてコツコツ働いたカネ、深夜残業を繰り返して貯めたカネ、家族と離れて出稼ぎして貯めたカネが、滅び行く日本にばらまかれて消えていく過程を見つめている、おそらく団塊よりも少し上の世代の人々には、この芝居、どう映るんだろうか?

時に軋む音を立てながらゆっくりと回る舞台装置が印象深い。一幕でちょうど一回転。最終幕、回り始めたところで、隣の老婦人二人連れが、「ほらほら、今度はXXXで回ってるわよ!」といきなり本質に切り込む会話をかましてくれる(ネタバレにつき内容は秘す)のが、Almeidaならではの醍醐味だった。

Vanessa Kirby演じるエレーナが、都会育ちで消費のみによって生きてきた美しい女、消費ばかりで何も産み出さぬ退屈な自分を、そういう退屈な人間だと客観視できるまでには物事が見えているのに、自らの力では最早そこから抜け出す術を持たない、いや、もしかすると抜け出す術を知っているのにそこに向かって踏み出すことの出来ない姿を正確なニュアンスで映し出して出色。いや、出色なのではなくて、実は、筆者自身がそこに大いに移入してしまった、というだけのことなのかもしれないが。

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