2016年5月8日日曜日

Cyprus Avenue

09/04/2016 15:00 @Royal Court Theatre, Upstairs

東ベルファストのいいとこに住んでるユニオニスト(北アイルランドはブリテンとの連合王国に残留すべき。アイルランド共和国と一緒になるべきではないと主張している人)の男性が、ある日生後5ヶ月の孫娘を見たら、何とその顔がシンフェイン(北アイルランドはアイルランド共和国と一緒になるべきと主張している政党)の党首、ジェリー・アダムズ(この人を単なる政治家だと思っている人はいないです。テロリスト呼ばわりする人もいます。でも、和平交渉において重要な役割を果たした人でもある)の顔だった、さあどうする、という、一見、シュールな笑話風の物語。

これ、どういうコンテクストなのかは、北アイルランド問題に関心の薄い人や、ジェリー・アダムズと言ってピンとこない人に説明するのがややこしいのだけれど、いや、かくいう筆者自身も、どこまで「余
所者に開示できないコンテクスト」を理解しての芝居を観ていたかは計り知れない。

日本に翻案するとすれば、自称良識派の退役キャリア公安(ただしもちろん前提抜きの自民党支持で、自宅の本棚には嫌韓本がちらほらあったりする)が、ある日孫娘の顔を見ると、それが宮本顕治か不破哲三かなんかだった、っていう感じでしょうか。いや、そんなヌルい設定では済まないんだろうな。

筆者は「バカの壁」読んでいないが、多分、雑誌で養老氏の主張を読んでる限り、この芝居は、乱暴な言い方をすれば「バカの壁」を打破できない中高年の話として括ってしまえると思う。自らを規定する価値観や、その価値観を規定していると自らが考えている外部環境が、当初の設定からずれてきてしまったときに、当初の設定をどのように修正していくのか、していけないのか。それが自分の外へのアクションとしてはどのような形を取りうるのかについての考察である。

その考察を、北アイルランドという特定の状況に投げ込んでみたときに、それが、思っていた以上の劇的効果を生んでしまうことがあるのだ、ということだと考えている。

笑話風の出だしが、思わぬ展開を見せて悲劇に繋がっていくというのは、古今東西、芝居や小説でよくある話ではあるけれども、それを一種架空の話、作り物として笑い飛ばしてしまえるのか、それともリアルなものとして受け取られるのかは、上演される場所や観客のおかれたコンテクストによって異なってくる。少なくとも、この、ベルファストのユニオニストのアイデンティティ・クライシスは、UKで上演される限りにおいては、相当シリアスで、設定はともかくとしてリアクションとしてはリアルで、人の生き死にのシーンも、これまでアイルランドやイングランドで流されてきた血の量を確実に反映している。

そういう生々しさを日本の舞台で観ることは希だ。もっと言うと、欧州の舞台で観ることも希だ。この生々しさが、この笑話→悲劇が、芝居として、「今、ここで、上演されることの意義」を大いに支えている。

主演のStephen Raeは、アイルランドを代表する名優だそうです。すみません、知らなかった・・・ 娘を演じるAmy Molloyがなかなかの好演。去年のエディンバラで観たクソ芝居No. 1を一人で演じていたときとはエラい違いで、好感度大。こんなきちんとした芝居が出来る人だったのね。見直しました。

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