2016年5月12日木曜日

Another World

02/05/2016 19:45 @National Theatre, Temporary Theatre

ISに子供を奪われた3人の母親たちを軸に、Tower & Hamletのティーンエイジャー、中東問題の専門家、ボランティア、アメリカの軍人等々、様々な人々へのインタビューを元に編み上げた舞台作品。この、「インタビュー等を元にして、そこで語られた言葉を変えずに、構成や順序、話者の選択等を用いて舞台作品に仕上げた芝居形式」をVerbatimと呼んでいて、日本にいた頃にはさほど聞き慣れた言葉ではなかったけれど、UKでは相当の数のVerbatimが上演されている。実は、昨年のエディンバラで最も良かった舞台、The 56も、ヨークシャー、ブラッドフォードで起きたフットボールスタジアムの火事を元にしたVerbatimだった。
UKで芝居を上演しようとすると、どうしても「物語」を「伝えよう」とする意識が高くなって、観客側も「どういう物語をぶつけてきてくれるだろうか」と構えている面も大きいので、ISの問題のように、あまり、物語でもっていきたくないイシューを取り扱いたいときには、Verbatimは非常に有効な手段なのかも知れない。いや、非常に有効である。

このAnother Worldも、非常に巧みに編集されていたと思う。全体の物語を見失わないように、でも、あまりにも母親たちに移入してしまって、その視点での物語でしかISを捉えられなくなってしまうことには、創り手側に、相当の抵抗感があったのだろうということがくみ取れる。一方で、事実だけをお説教して、「ISに関する知識」を広めたり植え付けたりする「教養プログラム」に徹するのであれば、舞台に乗せる必要はなく、本を読んだり、テレビのドキュメンタリー番組を見たりすれば良いのだ。そのバランスは、(若干教養プログラムに偏っている感じもしたけれど)まずまずだったと思う。

実は、筆者が「もっとも自分に近い」と感じた登場人物は、大学でradicalisationについて研究しているムスリムの40代の研究者で、彼はこう語る。
「911の時に、radicalな連中と寝泊まりしていたことがあって、結局そこは出ていったのだが、その頃に今回のシリアのようなことがあったなら、自分もどうなっていたか分からない」
それは、僕の視点ではこう変換される。
「オウム華やかなりし頃(1980年代後半)に、インターネットがもっと普及していたら、そして、自分が、未来や自分のアイデンティティについて確信や希望を持てない状況におかれていたなら、自分もどうなっていたか分からない」。
そういう感覚を共有できる人が、この日、この場所にどれほどいたかは分からないけれども(殆どいなかったんだろうな、とは思うけれども)、少なくとも、色んな人が、色んな受け取り方をしてるんだろうということは想像できて、それが出来ること、それを、Verbatimという形式を持って実現しているところに、この芝居の強さがあると思う。教養プログラムだと思ってくれても良いし、母達のお涙ちょうだいな物語に取ってくれても良い。そこを受け手側に任せてしまっても十分に通用するプロダクションは、強い。

Tower & Hamletに住むティーンエイジャー達の演技が秀逸。通り一遍の希望や絶望はなくて、ただ、ロンドンのムスリムとして日々をどう過ごすのか、どう感じているのかを、誇張なく、演技も抑えて、結果として強力に説得力を持って迫ってきた。
(あ、この芝居観たのは、市長選の前です。念のため)

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