19/09/2010 17:00
身体が良く動く(あるいは身体把握ができている)のはパフォーマーとしての大前提だとしても、それをどう見せるか、言い換えれば、観客の視線がどこをどう動くのだろうか、というところにきちんと気を配って、そこに焦点を当ててみようという意図がきちんとエンターテイニングに提示されているのが嬉しかった。
アフタートークの場で、日本の伝統舞台芸術の「黒子」に大変興味を持ったと言っていたけれども、まさにそこでジル・ジョバンが感じたのであろうと推測される「面白さ」が、鮮度を保ったまま舞台に載っていたと思う。
人形を操作する人形遣いと、操作される人形。文楽であれば人形の動きに注目するのかもしれないけれども(そして実際僕も人形の動きばかり見ているのだけれども)、それを操作する者たちの動きを追いかけ始める(人形遺いの腕や身体の動きをみつめたり、視線を追ったりする)時、パフォーマンスアートとして別の次元が舞台上に見えてくる。
ブラック・スワンでは、ソロのパフォーマンスから始まって、そのうち「1対1、もたれる人と支える人」が提示される。その2人の関係はやがて、「人と長い棒」「人と長い棒とその先のぬいぐるみのウマ」に置き換わっていき、舞台上の前景と後景が混在して終わる。どちらが前景でどちらが後景かについてはもちろん説明がないから、その移り変わりは観客の「見方」に委ねられていて、そのあたりの揺らぎを味わうのが楽しい。
それらの動きの中に「繰り返しが一切ない」というのも好感度アップで、道理で、ほぼ素舞台、照明暗め、音楽も抽象めの、「寝ろ!」といわんばかりの作りであるにもかかわらず飽きが来ない、退屈せずに観ていられる舞台に仕上がっていた。雄弁に走らずにきちんと最後まで見せ切る技量、堪能した。
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