10/09/2010 ソワレ
なんと豊かな芝居。雨風に晒されながら素直に曲がりくねって育った樹のように、変に気取らず、突っ張らず、芝居の輪郭はがっちりと骨太に、無駄がない。時の歩みは速すぎず、遅すぎず、時空のチューブの中をぐいぐいとうねうねと、充実を保ちながら進み、かつ、変な抵抗はない。滑りもしない。この世界に裏はないが、深みはある。後味の悪さを声高に謳わずとも、正と邪、美と醜が世界の滋味として渾然一体と取り込まれ、アゴラのスペースがこんな形で充実しているのを観たことは、おそらく無いのではないかとも思わせる。
役者の立ちもまた「すっく」として美しい。テクストにもほぼ無駄が無く(時として物語の語りが入るのは、客の集中力をつなぎ止めるための最小限の必要悪とみた)、観ている自分の脳内に、舞台に集中できないときに湧き出る「邪念」ではなくて、舞台に観入った結果としての「妄想」が沸き上がるのを感じる。表面上の「エッジ」を立てることにこだわらずとも、ここまでできるのか、と。伸びやかな妄想の広がりに脱帽するほかはない。
あ、そうだ。この感覚は、ブランフォード・マルサリスのバンドを聞いているときに感じるのと一緒だ。ジャンルにこだわるでなく、素直な豊かさを感じること。素直に伸びることは「真っ直ぐ伸びる」こととイコールではないと思い知ること。無垢なまがまがしさに触れること。素晴らしかった。
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