12/09/2010 マチネ
失われた時を求めて、第三のコース。全部で七つのコースになっている、ということを意識すると、どうしても「完走しなきゃならないのではないか」とか、「一回見逃すと、続きを見ても仕方がないのではないか」とか思ってしまいそうだが、そういうことは全くない。連続するモチーフは、ひょっとすると創り手の側では共有されているのかもしれないが、少なくとも第三のコースまでを拝見して、どこかが抜けたらコンセプトについてロストしてしまうようなことは感じない。かくいう小生も、第四・第五のコースはスケジュール的にきついかも‥・と感じているけれど、そもそも芝居については「完走」を目的にしてもしようがないところはあって、むしろ、目の前にある舞台を目ん玉見開いて観ることが楽しいんだ。
今回は「芝居を観に行く」ことと「引っ越し」が劇中の出来事の軸となっていて、舞台上(アトリエ内)の出来事の組み立てにも、「視点」と「場」のコンセプトが反映されていると感じた。「わたし」が凝視する舞台上の出来事と「わたし」が投げ込まれる舞台(=「場」)で起きる出来事の間の行き来、それを凝視する関氏、それを見つめる(アトリエ内の)観客、そこに向かって発語する「わたし」。「わたし」の「引っ越し」、「居場所」、「居心地の悪い場所」、舞台の内と外。テクストの内と外。それをつなぐ「読む目線」と「観る視線」、「朗読者」と「演技者」。とまあ、こんなことをいちいち考えながら一時間を過ごしていたわけではないのだけれど、小さなアトリエの中で1時間過ごしながら、自分が色々な「場」と「視線」の中を行ったり来たりしていたという感覚だけは確かに残って、それは大変豊かな時間だったと思うのだ。
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