2010年9月22日水曜日

青☆組 忘却曲線

07/09/2010 ソワレ

印象に残るシーンもあるけれど、観ている間、妙に「無駄なシーンが多いな」と感じることが多かったのだ。

当パンに作・演出が「私情を隠さすにぶつけた」と書いてあって、実際そうなのだろう。「思いを伝える」ことへの真摯さはあった。役者陣もその思いを舞台に載せるべく真摯に頑張っていた。ただし、僕は「一観客」なので、思いを伝えることに対して頑張るよりも、もっと面白いシーンをみせることに対して頑張っていただきたいと思ってしまう。だから、「思いを伝える」ための導線の役割を果たすためのシーンは全て無駄に感じてしまう。

でも、そういう「無駄」が気にかかるのは、それらのシーンと比べてみて、明らかに、
「何も語ろうとしていない、思いを伝えようとしていないのだけれども、決して語りえないもの、伝えようのないものが噴出するシーン」
があったからなのだ。

幹子が台拭きでテーブルを丁寧に拭くシーンは出色。こういうシーンがもっとあったらなぁ、と思わせた。あるいは、末弟とネコのシーン。会話が始まる前。何の伏線にもならないシーン。こういうの、いいなぁ。

1997年ごろにロンドンで観た「水の記憶」っていう芝居があって、すっごくよく出来た戯曲なので未だに忘れられないのだけれど、それも、三姉妹と亡き母の物語だった。その物語では、亡くなったばかりの母が「若いころの姿で」時として姿を現して、そのタイミングとか、バラバラの記憶をふとぐいっと繋いでしまう効果とか、素晴しかったのだ。井上みなみの母親役はそれをちょっと思い出させた。化粧とか、つけ胸とか(だよね?)要らないよ。吉田・井上+達者な役者陣なら、もっと出来るはず。もっとエンターテイニングになって、とんがって、そして、私情はその後からひそやかについてくるはずなんだ。

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