2010年7月18日日曜日

ワンダーランド/こまばアゴラ劇場 劇評セミナー 第8回

03/07/2010

劇評セミナー第8回。全8回のコースの最終回は手塚夏子「私的解剖実験5 - 関わりの捏造」についての劇評合評。講師に武藤大祐さんを迎えて。

武藤氏、率直・正直かつ整理されている。整理されているから、整理しきれない部分もとってもよく見えていて(「とっても」という言葉遣いには照れがあるのだそうだが、敢えて使うが)、話を聞いていて引き込まれる。そして、「観る」力だけでなく「読む」事に関しての注意深さもただ者ではないと。

ノート代わりにここに書くと(引用される場合はコピーライト武藤氏です!)
A. 劇評の成分の洗い出し
 (1) 描写
 (2) 問い掛け/問題意識 ⇒作品をどう観るかの視点の設定
 (3) 分析・考察
 (4) 文脈化
 (5) 評価/価値判断
B. 劇評の書き手の立ち位置・スタンスの3類型
 (1) 作者の意図・やろうとしていることは何なのかを書く/読み解く
 (2) 自分視点(に徹する態度)
 (3) パフォーマティビティに関する分析(起きた出来事全体を俯瞰)
C. 劇評が向かう、2つの正反対のベクトル
 (1) 評価する
 (2) 筆者の思想を語る

書き手としてこういう類型に予め嵌まっていこうと考えることはしないけれど、少なくとも「整理されているから、整理されえないものへの視点が開ける」のはここでもよく当て嵌まると思う。

そして手塚氏の作品についての語り。自己言及性が強すぎて、そもそも「語ること」自体が要請されるような、あるいは語るに及ぶような、作品であるかというのが一つの勝負どころ。そういった作品について「書く」ときに、思わず(何歩か)引いた視点で書かないと書けなくなってしまう者、一歩も引かずにドロドロになって書く者、何故かバランスが取れてすっきりと書けてしまう者、それぞれあって、その違いそのものも、「何故そういうスタンスに陥ったか」に関する筆者の説明もすごく面白い。これだけ方法論に拘った作品=「推論」や「妄想力」の餌食になるおかずを取り払った作品であっても、こんなに観方・書き方が多岐にわたるのだ、ということに対し、改めてポジティブに驚く。またしても充実した時間だった。

次の予定があって途中退出を余儀なくされたのだけれど、どうやってセッションが締まったのか、後ろ髪ひかれる思い多々。

2 件のコメント:

片山幹生 さんのコメント...

ああこれはとてもわかりやすく整理されてますね。この劇評講座、私も出たかったなあ。仕事が入っている時間帯に開催されていたのでどのみち出られなかったのだけれど。

Homer Price さんのコメント...

caminさん
コメントありがとうございます。caminさんが出られなかったのはとても残念です。
武藤さん仰ってたのが「一つの作品について評を沢山並べて読んでみて初めて、こういう整理ができた」ということで、そう聞くと、あぁ、下手でも書いて貢献できてよかったなぁ、と思えました。
最初は「平田オリザが劇評について語る」とか「多田・岩井・松井が語る好きな劇評、困った劇評」とかに釣られて参加したのですが、実は、劇評を見せ合いっこして、そこから色々と発見していく過程の方が遥かに楽しかったです。
そういう「居酒屋議論」以上「アカデミック」未満、のようなガチンコ議論の場は、小生にとってはとても貴重でした。