19/07/2010 ソワレ
千穐楽。
劇中人物の視線が妙な感じでシフトして、そこから生まれるうねりに呑み込まれて行く感じ。気持ちの悪いような、納得のいくような、妙な味わいの、そして観客を力強く巻き込んでいく見事な芝居。
<以下、ネタバレあり>
父・兄・弟・兄嫁・間男(消防士)の話。
最初は「引きこもり」で部屋から一歩も出ない弟の視点で芝居が組み立てられるかのような印象。往々にして、こういう半分世の中の動きに取り残されたセミ傍観者視点の語り手が物語を進行させるものだ。
と思ってみていると、開始10分で父が便所で正面向いて首を吊って死んでいる。そしてはけない。あ、傍観者になるのは父だったか、となる。
が、続いて兄嫁。この女性がカラオケ屋で働きながら家計を支えているのだけれど、父子と血のつながっていない存在として、やはり傍観者目線でこの家を語る。
映画監督の長男の帰宅で物語が動くかと思いきや、実はこの長男も家で起きていることは自分の生活にとって足枷でしかなく、彼も思いっきり重心を家の外に置いている。
もちろん間男は外部の人間だから、いくら家の核心に向かって行動していこうとも、所詮は外部からの目線でこの家を理解し、語るほかない。
この、家族のすべてのメンバー、芝居のすべての登場人物が、自分のいる場を自分の居場所として認めたがらない状況って、どうよ?
という感覚と、登場人物たちが「ほら、この舞台は私の本来の居場所ではないのですよ。観客のあなた方にはお分かり頂けますよね」と言わんばかりに面を切って客席に向けて台詞を言う様が、妙に符合していて、語られる立場の観客としては、どうにも居心地が悪くなってしまうのだ。
あぁ、オレにとって、家とは何なのか?
「オレんちってさあ」といって、半分面を切りながら、重心を半分外の世界にかけながら、やれやれといったそぶりで語るべき場所なのか?
芝居が進むにつれて、傍観者面を気取る登場人物たちが、実は、揃いも揃ってこの家の雰囲気・輪郭を形作る過去のエピソードの「当事者」であることが明らかになっていく。
そうやって巻き込まれてしまうと、もう、観客として傍観者面決め込んでいくことに対する罪悪感というか、一歩劇場を出たらこの傍観者面が逆転するんだなという不快感というか、そこから逃れられなくて、たまらない気持ちになる。そして、その立場を宙吊りにしたまま、父の死体も便所に吊るしたまま、芝居が終わる。
こうやって書いているとなんだか観ていて不快な芝居だったみたいな印象を受けるかもしれないが、さにあらず。便所に首から吊り下がったまま息子を呼び続ける父、突撃特攻で家の核心に迫る消防士には声を挙げて笑うほかなく、兄嫁の女優のキレイさと年増ならではの疲労感・饐えた色気、兄弟のえもいわれぬ緊張は、どれも役者力みせつけて素晴らしい芝居。堪能した。そして、大変印象に残る芝居でもあった。
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