04/07/2010 マチネ
ロンドンにいる時分「赤鬼」を観て大いに落胆して以来、「赤鬼は失敗だったと自己批判するまで野田さんの芝居は二度と観ない」と思っていたのだけれど、今回、魔が差したというか、いや、最近芸劇にいろいろと若いカンパニーも呼んでいて、新しいインプットもあって何かしら変わっているかもしれない、という期待感をこめて池袋へ。またしても大いに落胆。
しょっぱな、漢字の字面が浮きだして浮遊する感覚は、多和田葉子の「飛魂」を読んだ今となってはエジプトの後にローマを見るが如し。野田さんをもってしても多和田さんには及ぶべくもないことの再確認でしかない。台詞を一生懸命がなる人が多数派なのも、2時間もたせるには苦しい。
が、もっとも気になったのは、物語・メッセージを一生懸命に伝えにいく姿勢。オウム真理教の事件が、僕たちや野田さんの世代(1960年代生まれ)に激しいインパクトを持ったことは否定しないし、むしろそれには同情する。同情はするが、共感はしない。野田さんのキモチやイノリを素直に謳いあげてもらっても、ただただ困ってしまう。
一つのモチーフに基づいて舞台を組み立てることを否定はしないけれど、そこから妄想が沸き上がり、力強く羽ばたいて、手がつけられなくなるくらいに広がって行くところにこそ演劇の可能性があるはずだ。漢字遊びも言葉遊びも身体の動きもギリシャ神話も、すべてメッセージを伝えるための「道具」として芝居の中にちりばめられ、最後にはオウムの物語に回収されてしまうのは余りにも口惜しくはないか。
あるいは、「共通の言語・体験=おおよそのコードの発信と解読の体系」がまるっきり共有されている(僕は「同一の辞書を使ってコミュニケートしている」と言いたいが)中で、自分の提示するものが観客に受け取ってもらえるという誤解があるのではないか?
そういう場ではもちろん観客の妄想がジャンプする余地はついぞ与えられず、野田氏の想像力もオウムの偽りの太陽に焼き焦がされて地に墜ちたように感じられた。
芝居がハネて娘と食事しながら、「昔の野田さんの芝居はこんなじゃなかったんだ。もっとワケわかんなくて、そして想像力が膨らんで、世界が広がるような、そんな素晴らしい芝居だったんだ」と思わず力が入る自分に、涙でそうになった。
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