28/07/2010 ソワレ
初日。初見。
なんだ、この、全ての台詞が役者の身体から半径50cmまでしか届いてないっていう感覚は?
現代口語演劇を称して「半径数メートルの世界」なんてぇ言い方があるらしいけれど、ことこの公演にいたっては半径数十センチだよ。これをどう受け止めたらよいのか、いろいろ、困った。
最初は、テクスト弱いなぁと思ったのだ。実際、音は聞こえてきても何を言ってるかが分からなくて、本当に、役者を離れて50cmくらいのところでポトンと春風舎の床に落ちて消えてなくなる感じ。床に積もることさえなくて、言ってみれば度の高い焼酎のアルコール分のようなものか。
が、だんだんどうもそういうところを狙った演出なんじゃないかとも思えてきて、というのは、木引・宇田川の視線の交わし方は、テクストの強弱とは関係なく「視線を強く結びすぎない」ことに注力しているようにも見えたのだ。途中、うっかり二人が気を抜くと普通の会話が成り立ちかけて「いけないいけない」みたいなところが見えるのも、いつもの芝居とは違うところに集中している感じがして面白かった。
ワイヤー・紐を垂らした舞台に映像もよく映えて、春風舎の舞台奥の階段の手前に何層かに分けてアクリルが嵌ってるような、そういう奥行きが感じられたのも面白い。
しかし、本当に全てのテクストがへろへろと床に落ちていくのに60分付き合っていて、「これ、面白いよ!」とはならなかったなぁ。残念だけど。やはり、見慣れないものをみる時にあからさまに拒絶するのは良くないと分かっていても「これで良いのだろうか?」というのは先に立つ。
「届かない」のと「届けない」のは性質が違うし。身体でグイグイ押す感じでもないし。演出の狙いに観客として的を絞れないのは観客としての資質によるとしても、だ。でも、そこから先にぐぐっと突っ込みたくなれなかったのは、それは、うん、もうちょっと、ズルくても良いと思ったんだ。もし、速球を頭にぶつけるくらいの気の引き方を方法として取らないのであれば。そういう考え方って、どうだろう?
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