03/07/2010
劇評セミナー第7回は手塚夏子さんを迎え、自作「私的解剖実験5 - 関わりの捏造」について語っていただいた、あるいは、分からないこと、感じたこと、自由に語った。「私的人体実験」が抽象度の高い作品だっただけに、受け手としては「イメージ・妄想の膨らみ」を伝えるとともに「種明かし」が欲しい的な興味ももちろんあったわけで、いや、もちろん、種明かし的なコメントも頂いたのだけれど、タネがわかったところで腑に落ちて「あ、そういうことね」とお勉強して終わったりは決してしなくて、それがまた色々な概念・考え・妄想・連想を生み出して、すばらしく豊かな時間となった。
・自分の身体を細かく観察するということ
・「実験」から舞台上に出てくるものを「泳がせておく」ということ
・「観察する自分の眼」と「観察される自分の身体」の表裏不一体、薄膜一枚分引き剥がされる感覚、その薄膜一枚を行き来する情報フィードバックのループの波長の長短と、結果舞台に現れるもののレゾルーションのきめ細かさについて
・現代口語演劇が持つ問題意識との親和性。平田オリザ、多田淳之介、松井周と手塚夏子。演出家・コリオグラファーの手綱の長さとパフォーマーのモチベーション。
・可能性を狭めることと広げること。数多くの可能性を意識しながら、今ここには自分のこの身体、動きしかないということ。
・インターフェースということ。
・舞台上のスピーカーから流れるパフォーマーの声と肉声の音との微妙なずれ、ゆらぎ。それを差配した牛川紀政氏がいかにこのパフォーマンスの肝を掴んでいたかということ。
すげえ。手塚さん、僕が外れたことをいうときちんと「それは違う」と言ってくれるし。こんな会話が午前1時の居酒屋とかじゃなくて、午後3時のアゴラ劇場稽古場、午後5時半のイーグルで交わされているということが奇跡のようにすら思われる。
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