24/04/2010
第2回は、ダンス・演劇批評家、武藤・佐々木・水牛のお三方を迎えてのシンポジウム「私の考える劇評」。
非常に率直な意見が聞けて小生ご満悦。さらに三人の一致した見解として「批評は必ずしもなくてはならないものではない」というのも率直かつ実は「批評」が依って立つポイントとして非常に重要な考え方だと思われ、それも収穫。
お三方それぞれに「劇評は誰に向けて書いているのか」について自覚的で、よって、「劇評とレビューと感想とはどう違うのか」についての「大体の」線引きができている。そうなると「レビューや感想じゃなくて批評を書け」みたいな注文に対する前捌きが可能だろう。「前捌き」というのは、三つのカテゴリーの間にあるのは明確な線引きではなくて、「大体の」線引きとそのバランスだから。
そういう意味で、佐々木氏の「プロパーの批評家」、武藤氏の「精緻に見ること」「批評とアカデミズムの両立」、といった言い方は非常に面白い。また、言説が「創り手」や「読者」に対してもつ権力性みたいなものへの注意深さも感じられて、大変示唆に富むシンポジウムだったと思う。
一つだけ宙吊りになっているのは、おそらく、野村氏が言っていた「創り手の意図をどう汲むのか」という質問への回答。僕自身は「作品は一旦創り手を離れてしまったら観客・聴衆・読者の妄想・想像力の手にゆだねられてしまうから、創り手の意図なんて、一種、どうでもよいのです」と言いたくなってしまう。でも、ドラマターグとして創り手の周辺に立って観客席も見る渡す仕事をしている野村氏からすれば「いやいやそうはいっても」ということではあるだろう。佐々木氏や水牛氏のスタンスは何となく予想できる気がする(た易いというのではなく、一貫しているという意味で)。武藤氏はどうか?「意図のない、ポイと投げ出しちまう創り手の作品について書く気はない」という彼は、どう回答するだろうか?
これに限らず、チラシの裏に書き付けた断片的なメモを読み返すといろんなアイディアや回答が埋まってて、いやいや、大変豊かな2時間半でした。
2 件のコメント:
うう、聞きに行きたかったですね。このセミナー、仕事と時間が重なっていて私は聞きに行けないのです。
まとめて本とか出ないかなあ。
批評とレビューの線引き、劇評は誰に向けて書かれているのか、などまさに私が関心がある問題です。
caminさん
コメントありがとうございます。
アンケート・感想・ブログ・レビュー・新聞劇評・演劇/ダンス批評等々にどうやって線を引く/グラデーションをつけるのか/つけられるのか、ほんとうに難しくて頭痛いです。ブログの書き手としても。劇評の読み手としても。
セミナーのまとめ本、僕も熱望します。佐々木氏に限って言えば、彼のスタンスは単行本「批評とは何か」にもかなり明確に示されていると思います(今、読んでいる途中です)。
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