2010年4月25日日曜日

甘もの会 どどめジャム

23/04/2010 ソワレ

前作「炬燵電車」がとっても不思議な感じで、第2回公演も必ず観ようと思っていた。同じ肥田知浩氏の戯曲を使って、新川の小さなアトリエでの公演。正直なところ、期待通りに世界が広がりをみせなかったことにフラストレーションを感じた。戯曲のせいだと思う。

「炬燵」も「どどめ」も、「記憶」を軸に組みあがった戯曲である点は共通している。ただし「どどめ」の記憶は、主人公の男の一人称視点での過去の記憶と未来の記憶がある時点で交錯する「縦の編み方」であるのに対して、「炬燵」の記憶は、炬燵の周りの空間をハブにして、そこに出入りする登場人物たちの視点と複数の記憶が交錯する「横の広がり」を持っていた。いずれも小さい空間での上演を前提として、そこから世界をどう広げるかが勝負どころの芝居なのだけれど、「炬燵」の周りにぶわーっと世界が広がっていった感覚を思い出すと、やはり「炬燵」に軍配を上げてしまう。

加えて、一人称芝居で記憶を交錯させられると、どうしても早い段階で「オチの読める」展開になりがちで、そこも惜しかったと思う。石担ぎ、モンゴル相撲、飴拾いなど、魅力的なモチーフが散りばめられているだけに、それらの人物の「視線」が加わると、もっと立体的に芝居の時空が立ち上がったのじゃないかという気もした。

室内が屋外に化けられるか、というのも大きな命題で、やはり、こういう小さな小屋で、役者のすぐ後ろが白い壁という制約はなかなか乗り越えがたかったのだろうという印象。違う小屋で、視点の加わった「別バージョン」が出てきたら、それは観に行きたいと思うかもしれない。

0 件のコメント: