2010年4月3日土曜日

誰も、何も、どんなに巧みな物語も

31/03/2010

その場に居合わせることの幸せ。月並みな言い方ではあるが、本当に充実した80分だった。

僕は「舞台の空間を埋める作業」がとってもダサいことのように思っていた時期が長くて、実は今でも割りとそう思っている。所詮時空を埋め尽くす、全てを語りつくすことなど不可能なのだから、余白をどう見せるか、いや、物事をどう見せないか、いかに物事は見えないものか、が勝負所ではないか。そういう理屈である。

ところが、安部聡子、山田せつ子、2人のパフォーマーが BankART Studio NYK のがらんとしたスペースに立つと、とたんに、その空間の隅から隅まで何かがぶわーっと充満するのを感じる。確かに感じた。
2人のパフォーマーが、動き、声を発し、時としてお互いに無関心であるかのように振舞い、時として過剰に干渉しあう。近付き、離れ、その遠近法がなんとも美しい。
(もちろん、色んなところをうろうろしているから空間が埋まっているって言ってるわけではないんですよ。念のため。)

その中で、ジャン・ジュネのテクストはそれだけでは時間を支えていないし、山田せつ子氏の動きだけでは空間を支えていないし、安部聡子の声だけでは空間は満ちていない。加えて、安部・山田の視線は、観客抜きでは成立しない。テクストと演出と演者と観客が、そのどれを抜きにしてもこの時空を成立させられない格好で支えあって、濃厚なスープのような霧のようなモノを生み出している。そう信じられることの幸せといったら!

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