2009年1月26日月曜日

KUNIO05 迷路

25/01/2009 マチネ

千穐楽。
伊丹AI Hallにこないだ来たのは、1994年に青年団の旅公演を追いかけて行った時以来だと思う。え、15年ぶりか!相変わらず感じの良い劇場である。
今度杉原さんに演出つけてもらうこともあり、日帰り遠征してみた。

で、やっぱり来て良かった。
アゴラで観た四谷怪談、三番叟よりも、ずっとストレートに、悪く言えば粗削りで乱暴に、杉原演出の芝居を観ることができた。

幕前、芦谷康介の動きにシビれる。暗転するや否や飛び散る火花におぉぉっとなる。

えっと、以下、ネタバレ話を延々とするのだけれど、乱暴にひっくくって言うと、杉原邦生が、「芝居って、演じてる連中も観てる連中も、こんなウソンコをみんなで一生懸命になっちゃって、みんなバカじゃん!」
と言ってのけるのを聞いて、(演出家として)彼を信頼できるな、と思ったのである。
自分が考える「本質」とか「真実」を押し付けるような演出家じゃなくてよかったな、と思ったのである。彼のそういう演出を、観客として楽しめたし。
それが、一番の収穫。


<以下、ネタバレです>


照明が切れて作業灯で上演を続行する、という趣向は、一体どうなんだろう?
アフタートークでもあったけれど、「何でもアリ」のこの世の中にあっては、そういう「ネタ」では観客は驚けないのではないか、という気も、正直、少しした。
逆に、「ネタ」ではないとしたら、アラバールの迷路は、照明が変わらなくとも成立する戯曲である、もしくは、照明が変わらなくとも成立する演出がされていた、のである。

つまり、「照明が上手く動かない中での上演」というフレームの嵌め方は、もうちょっと観客が心配するくらい(杉原アフタートーク流に言うなら、帰っちゃう客が出るくらい)にしないと、もう、観客のコミットメントをひきつける撒き餌にはなり得ないんじゃないかと。

そういう状態で、最後、「全部ウソです」を背中に貼って出てきちゃうのは、どうしたものかな、とも考えた。僕個人の好みは、「ウソです」だなんて白状しないで、でも、上演後詫びも入れずに、そのまま、客を帰しちゃう、っていう趣向ですが。で、帰りの電車で、一体それがネタだったのかマジだったのか話し合うのって楽しいだろうなって。

でも、上演続行のアナウンスのあと、役者のトチリが増えたのには、実は、とってもドキドキした。で、本当に照明ダメだから、役者動揺しているのかな?と思った。それが演出されていたと知って、ヤラレタ!
でもでも、自分が一番ヤラレタ!と思った、父親役が同じ台詞を何度かとちって、「ちょっと面を切って軽く肩で深呼吸してから」台詞を言い直したのは、絶対に演出だと思ってたら、ほんとにとちってたらしい。それには心底ヤラレタ!

なので、自分としては、「もっとやったら?」って気もしたんだけど、実は、すっかり騙されている人もいたので、そこの匙加減については、何ともいえないところである。

あと、ラストシーン、エティエンヌが振り返って、「演出家」がいたのにはあんまりびっくりしなかったんだけど、芦谷康介のブリュノがいたのには、アッと思った。
てっきり「建築家とアッシリアの皇帝」の円環構造で終わるかと思ってたら、あ、ブリュノ、実はかつぐ側の人だったのね、というストーリーの組み立てを自分の中でしてなかったので。

あと、舞台美術。バトンが低いところまで下りてきてて、SPACの転校生を思い出した。きっとどこかでウィーーーンと上がっていくだろうと思って待ってたら、最後の最後上げてくれて、それは嬉しかったかな。

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