2008年2月18日月曜日

France_pan ジャン=アンリ・ファーブルの一生

17/02/2008 マチネ

虫眼鏡を通してミクロの世界を覗こうとするファーブルの、その虫眼鏡を構えた先には、実は観客席があって、観る立場と見られる立場とを逆転させていると考えられないこともない。

芝居のペースを落とし、ゆっくりと身体を動かし、台詞の間もたっぷりとって、観客にミクロなものを見つめさせようとしているのではないか、と、考えられないこともない。

でも、そういう芝居であればこそ、一瞬ごとの質感を流してしまっている感じがしたのは惜しい。
上手くいかない芝居でペースを落として間を空けて、加えて照明が暗いと、眠くなる。
申し訳ないが、何度か、落ちた。

虫の眼でミクロの世界を覗いて悦に入る人間に眼をつけているのだから、
虫の眼でミクロの変化を除こうとしている芝居の観客が、「どんな小さなことに目を奪われるか」に目をつけてみても良いかもしれない。少なくとも役者の演技は虫の眼を意識していないように思われた。

解釈を押し付けないで、観客の「見る」行為への動機付けを指向する意図があるのなら、それは買う。そうすれば、後は巧拙の問題である。

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