2008年2月10日日曜日

文学座+青年団 パイドラの愛

09/02/2008 マチネ

まず、好き嫌いから言う。気に喰わなかった。
何が気に喰わないかというと、戯曲が全く気に喰わない。

義母とその連れ娘を愛人とし、さらに司祭まで手篭めにしてしまうセックスマニアの男の話。
最後は義母自殺、自分は連れ娘と一緒になぶり殺しに会う。そういう話。

チラシによれば、「私の責任はたった一つ。真実を書くことです。それがどんなに不愉快なことであろうと。私は私です。他人がそうであってほしいと 望む私ではありません」と、作者のサラ・ケインは言っているようだが、彼女は、自分の真実には興味があっても、他人の真実には興味がなかったのではないか と思われる。

演出の松井氏は、一方で、「サラ・ケイン戯曲がオール・オア・ナッシング精神を発していたり、死の束縛を受けているかのような印象は、まやかし だ」という趣旨のことを言ってのけていて、それは凄く当たっている。あるいは、彼は、少なくとも、Aさんの真実とBさんの真実を較べてみて、その中で最も そりの合わなさそうなところを舞台に乗っけておいて、舞台袖でイヒヒと笑ってるくちの演出家である(AさんとBさんは、役者同志でも、役者と観客でも良 い)。今まで観た芝居は少なくともそうだった。

だから、この芝居の勝負どころは、自分の真実にしか興味のない作者によるベタベタベッタリな戯曲を、
舞台上で繰り広げられるコスプレの中では、外側に纏うコスチュームを引っ剥がしたところでそこに顕れる裸は実はストリッパーの裸と同じくらいコス チュームでしかないことを自覚しながら、そのコスチュームの際限のない取替えっこや脱がしっこに異常な興味を見せる変態演出家がどう料理するか、
という点にあったと思う。

で、その結果はというと、すっごく数の多い「見どころ」が散りばめられて、そんじょそこらでは見られないものを見させてもらったとは言うものの、
「どう?このショッキングでスキャンダラスなお話に驚いてね。」
というサラ・ケインのメッセージを打ち消すまでには至らなかった印象である。サラ・ケインの亡霊恐るべし。

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