2008年1月13日日曜日

Sehkraft Train Coming

12/01/2008 ソワレ

1行で物語を括ると、自己完結型「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」演劇版。
谷川俊太郎は趣味じゃないけれど、構成・物語としてみるに耐えるものになりそうだったのに
(だから、2時間を超える芝居だったにも拘らず最後まで楽しんで観れたのに)、
喰い足りないまま終わってしまった。

7年間で100人やってきたところに、(つまり1年で14人、1ヶ月1人だな)急に1日に3人もやってきて、そのことに少しは驚けよ、
とか、
1日で傷が治るんだったら、死んだ人も蘇ったりしないのか、
とか、
色々細かい突っ込みは入れたくなるけれども、そういう余裕を持って見れたということは、逆に言うと、僕が芝居の構造とか役者の演技に怒ってなかったということである。

が、しかし、中盤のパス回しは何とか回っているのに、ゴール前になると途端に足がすくむフットボールのチームを観ている感じで、もっと直接に言うと、
なぜ、ここまで、「要所要所で」ダサくなってしまうのか。

「節目」になると思われるシーンで必ず抑えが利かなくなって泣きや叫びが入るのはちょっとなー。音楽の使い方ももっと考えたほうが良い。 Helplessがベタなのはしょうがないとしても、過去を振り返るシーンでScientistのイントロもどきのピアノは減点50。あと、「SF通奏低 音」の使いようとか。

坂手洋二さんは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」はベルリンの話だと看破した、と言っていたけれど、このSehkraftのバー ジョンからはベルリンぽい閉塞感は漂ってこない。むしろその閉塞感・蟄居感は、たとえばカーテンの柄のような些細なことに関する自分と世間の折り合いとい うことで、そこで蟄居してしまうと実はただの引きこもりなのだが、その「個別」をつきつめたところに「普遍」への突破口がきっとあるはずだったのだ。なん だかそこに到達しそうでしなかったところが、実は大いに不満だったのです。折角、ベルリンの壁崩壊以降の世界の終わりを垣間見るチャンスになりえたのに、 と。

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