22/01/2008 ソワレ
日本人による翻訳、日本人による演出、日本人によるリーディング、舞台は日本、言葉は英語。何たる暴挙、と書いたが、いざ初日となると、どうなることか、どんどん心配になる。
客席もかなり埋まり、しかもネイティブスピーカーが少なくとも4割はいたと思う。
正直、びびりました。久し振りに、自分の自尊心があからさまに脅かされるのを感じた。
幕が開いて、客席も自分も、何となく落ち着かないものを感じる。セトルインするのに時間がかかっている感じだ。
シーンが進むに従って、しかし、自分がどんどん引き込まれるのがわかる。客席の集中も増していった(と思う)。
この「英語リーディング」に対する自信・信頼が増していくのも自覚できる。これは成功している(手前味噌だが)。平田がなぜこの試みをこの「隣祭り」の中に組み込んだのか、どこに勝機を見出したのかは今もって分からないが、彼の読みが当たっていたことは確かだ。
終演後、今回の試みの狙いの「焦点」がどこにあるのかを訊かれたのだが、正直言って、僕は正解を持ち合わせていなかった(誰かオリザに聞いてください)。言えることは、アフタートークでも言ったのだけれど、
もし日本が沈没して、自分たちがどこかの大陸にexileのステータスで移民するとしたら、きっと、こんな芝居をもって、英語で公演しながら旅を していくのではないか。だから、ここで話されている英語は、祖国を失った、あるいは移民した日本人が、「日本人らしさ」を保ちながら話す英語なのではない か。
逆に言うと、「隣にいても一人」は、元々がそうやって持っていける芝居だった、ということである。
つたない翻訳をすばらしい舞台に仕上げた演出・出演者に感謝。彼らと仕事が出来たことが誇らしい。また、もちろん、娘・妻にも大感謝。
明日(24日)のお昼、3時半からもやってます。みなさま、お見逃しなきよう。
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