25/01/2008 ソワレ
岩井氏が大変なことになっていた。
もうそろそろ千秋楽開演だから、この日記を読んでから小屋に向かう人もいなかろう。話の筋も含めてネタバレします。
岩井芝居は、僕的に名づけるとすれば、「一人称自虐芝居」。昔彼自身が、「自分のことしか書けない」と言っていたけれど、まさにその通りである。自分の分身を舞台に載せて、終始その視点で芝居を動かしていく。
で、ハイバイの芝居はそこに乾いた笑いをまぶして舞台に載せてみせるのだけれど、その笑いを排除したらどうなるか。笑えない自分を抽出してしまったらどうなるか。
難病にかかって髪の毛ダンダラに禿げて、顔色悪くて格好は汚くて行方不明中の元天才アーティスト(岩井、本当にバリカンでダンダラに髪を刈っていた!)が、絵描き仲間で絵を描かなくなった親友と元彼女(今はその親友の妻)に、
お前らは一体何なんだ
と、ド詰めを食らわしてその場で死ぬ話。
ベッタベタのありきたりの話で、そのままやられたら本来観ていて怒っちゃうような話なんだが、岩井秀人から目が離せず。
こういう話は、「学生時代芝居やってました」みたいな人間には本来ストレートすぎるんだが、実は、話のひねりは、
・ このアーティスト岩井は、行方不明になった2年前に死んでいたのかもしれない(幽霊話)
・ 実は実は、この話は、その親友だった男(山中隆二郎)の、絵描きから足を洗った後ろめたさによる妄想なのかもしれない(妄想オチ)
・ 実は実は実は、この話は、その妻(内田慈)の、才能を二つ殺してしまったかもしれないという後ろめたさによる妄想なのかもしれない(カラオケで喝采を歌っていた時にふとよぎった妄想オチ)
とも観れるところにある。
岩井一人称の「分身」役は、実は、山中演じるところの山田なのだ。その山田(岩井の分身)の後ろめたさを、岩井自身はダンダラ禿げに扮して徹底的に詰めまくる、その自虐の構造に鬼気迫るものがあって、目が離せなかったのだ。
きっとこの芝居を観て、「ぐぇーっ、ク、クラかったー。ぜんぜん笑えねーし。」と思ってドーンと沈んで帰るお客さん多かったはず。でも岩井氏本人はそれで良いと思っているんだろう。僕としては、何でこんな芝居を書く気になったのか、その動機付けが気になるところだ。
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