24/11/2007 マチネ
風邪で体が立たなくなって、23日に行くはずだった「野鴨」含め2本をぶっちぎったその翌日。
さすがに1日寝倒したらちっとは調子も良くなったということで、いきなり淵野辺まで出かける。
遠い。が、Prunusホールはとっても感じの良い小屋で、出かけるのが苦にならない。タッパ、キャパシティ、雰囲気、好きな小屋の1つだ。
岡田利規さんの作・演出。彼の作品は、まだ、去年の「エンジョイ」と今年のベケットのリーディング「カスカンド」しか観ていなくって、ただ、カスカンドが余りにも凄い出来だったものだから、次も必ず観に行こうと決めていた(12月にはついに「三月の五日間」観る予定)。
始まってみると、まぁ、予想通りというか、現代口語と呼ぶのも失礼かと思われる話し言葉と、デフォルメされ意識化された身振り。これは、何度観ても面白い。
実は、観る前の観客としての色気としては、
「桜美林の学生があんなふうにやったら、どこが岡田氏の要求どおりに出来ていてどこが出来ていないかがわかるかもしれない。そこから、岡田氏が役者に何を要求しているかがより鮮明に見えてくるかもしれない」
と思っていたのだが、そこは素人の悲しさよ、やっぱり判らない。が、面白い。
似たような台詞の繰り返し。役者を変え細部を変えて、同じシチュエーションを執拗に繰り返す。1歩進むようでもあり、戻るようでもある。ふと気が つくと、舞台上にいる役者の数はどんどん増えていく。そして、思いのままのポーズで寝そべったり立ったり座ったりしている。そしてそれは、僕に「漂流教 室」と「メーテルリンクの青い鳥にでてくる生まれてくる前の赤ん坊達」を想起させる。
「35歳が20歳の頃の自分を思い出す時に自分の身体であると思い込むところの20歳前後の身体、でも本当は他者から見たら35歳でしかないんだけれど」を演じる20歳前後たち。
この、妙に大人びた、でも逆に子供じみたところが、「漂流教室」のラストで妙に大人じみたメッセージを現代の大人に送る子供達のイメージに重なる。
また、自分が35歳になったらこうやって20歳前後の頃を思い出すのかもしれない、という20歳前後のころ期待されていた・いなかった35歳を演じる20歳前後たちは、あたかも青い鳥の赤ん坊達が
「僕は疫病をもたらすのさ」「僕は早く死んで両親を困らせるのさ」
と口々に言うように、
「生まれてくる子供は男の子よ」「晩婚かと思っていた」「誕生日のプレゼントは」
と口にする。
理屈ではつかめないけれど、イメージとしては自分なりに凄くしっかりつかめた気がして、気持ちが良い。1000円出してこのイメージの広がり。とってもお得な気分です。
ただし、後半に出てくる「螺旋」の喩えとか、何度も繰り返す「20歳が35歳を演じることの違和感」「35歳が20歳を思い出す際に20歳になっ ていること」の説明は、ちとくどい。わかりやすいけど。本当は、もうちょっと「ほんとうにそうなのかなぁ、でも、ちがうのかなぁ」と思いながら劇場を出る くらいに不親切でも良いような気がした。
いずれにせよ、よい舞台だった。
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