25/11/2007 マチネ
桃唄の芝居のどこが一体気に入っているんだろうって、考えてみたのだが、一言で乱暴に括ってしまうと、「舞台上の気温」ということになるのだろうか。
まず、語りの手法。舞台上の会話から過去を回想する、それを舞台袖で聞く聴き手達。さらにその回想される過去の中で過去が回想され、それを舞台袖 で聞く聴き手と、それをまた聞く聴き手達。かと思うとそういう構造をぶち壊して時間を強引に進めるシーンあり。そういう、ともするとスカした技術ともとら れかねないやり方が、なんだか、ゆるーく展開していくのが、先ず心地よい。
そして、これは、毎回そうなのかはまだ3作しか見ていないから断言できないけれど、フォークにしてパンクな身のこなし。
これらが役者達の個性/アクといっていいような悪いような、演出の意図があるようなないような、というところと絡んで、舞台上にぼおっと乗っかっ ている。その温度が、ほぼ、19度くらいなのではないか、初夏の、まだひんやり感の残る森に入った瞬間に感じるくらいの気温(と湿度)なのではないか、と いう気がするのだ。
そうやって自分で説明をつけないと、今回のような、
「殺人事件」「民間伝承」「素人探偵」「開発がらみのきなくささ」
なーんていう、見たとこ陳腐なモチーフを並べた結果が、こんなに面白く見れるわけがない。
いや、もしかすると、作・演出の意図は、役者の面白さではなくて、如何に昔話を語り継ぐか、というところにあるのだろうか? どうやって物語を伝えられるか、そこに必要なのは強さなのか、速さなのか、あざとさなのか、素直さなのか、その切り替えの試みの中で、
「いわきの物語はこうやって伝わる。それでは、オレの物語は?」
ということなのだろうか?
いずれにしても、何で気に入ってるか、いまだに説明つかず。
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