「君の趣味には合わないだろう」と言われていた。
確かに、全然、趣味ではない。
おまけに何故か僕は、これは「ミュージカル劇団」だと誤解していた。最悪な客である。
で、不覚にも、途中、寝た。救いの無い失礼な客だ。
(でも、ちょっとだけですよ)
人間というのは、同じレベルの刺激を継続して受けると、眠くなってしまうのである。
時速70kmで一本道を走っていると眠くなるし、抑揚の無いヘビメタを聴き続けると寝てしまうし、ずーっと赤ら顔でスピーチしている上司の声を聞いていると、酔っ払って眠くなった僕は椅子から転げ落ちてしまうのである。
で、だ。役者たちが、そういう、一定レベルの眠くなる効果を放射しているということはだ。要は。彼らの発信する情報が、(effectively)狙ったところにどこにも届いていない、ということなのです。舞台の上も下も。の、はずだ。
が、しかし。最前列中央に陣取った野球帽かぶった小学生は、じぃーっと、この舞台を観ていたのです。
彼は、何を思ってこの芝居を観ていたのだろう?
なので、今日の本当のテーマは、「人間は何をもって眠りに落ちるか」ではなくて「愛される芝居のポイントとは」。
・・・「押し付けがましくないこと」、かな?
そう。この「人生は上々だ」は、クサい芝居にありがちな、そして、ビッグネームが陥りがちな、「あぁ、こんなテーマを、感動を、伝えたい!!!」
から遥か彼方にいて、きっとそこが、観終わった後に
「なんじゃこのクソ芝居は!!フシアナ評論家に褒められていい気になっとんじゃねえぞ!」
とならない最大の理由だろう(本当はふっかいテーマがあったのならば、上記は非常に不快な発言でしょうが、どうぞご勘弁を)
以前、「芝居のごっこ性」についてちょっと考えてましたが、子供のゴッコ遊びが観てて面白いのは、そこに何の道徳もテーマも感動も無いからです。
柄本さんの言葉、
「芝居をやるのは何の足しにもならないくだらないことです。そういうところがいいんです」
が改めてつくづく素晴らしい。
野球帽の小学生は、きっと、この大人のごっこ遊びを、何の感動も、テーマも、深い哲学もなしにじっと観てたんです。そういうところがいいんです。
ということかも。
でも、勿論、巧拙の問題はあるんですが。
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