2007年1月10日水曜日

危婦人 江波戸さんちのにぎやかな正月

思い切って、無礼を承知で言う。
軽量級の芝居を観に行くつもりで行って、本当に軽量級の芝居だった。
これは、褒めても貶してもいない。
でも、「軽量級」というと怒る人も居るかも知れないので、敢えてその怒らせてしまう無礼を承知で言った。

で、楽しめました。軽量級の芝居として。このノリは悪くない。で、3つ言う。

① 最近、畳敷きの芝居が多い、ような気がする。これは何故だろう。畳敷きの居間に卓袱台がある家なんて、今の日本にはそんなに無いはずなのに。
だとすると、わざわざ、そういった「遠い」世界を描こうとしてしまうのは何故だろう。
そこを、単なるノスタルジアの記号として括ってしまってはつまらない。
でも、何となく、芝居の等身大感 = 手作り感 = 人肌な感じ = 畳敷き という方程式が共有されている気もする。
ちょっと、気になり始めた。

② 軽量級であることの照れ隠しは、不要だ。
冒頭の人物紹介とか、「えへ、わたしたち、軽い?」と訊かれてるみたいで、引く。あるいは、殊更に軽量級な、正座面きりポーズも不要だ。そういうものは1度乗り越えてきた人ばかりのはずだ。
軽量級が軽量級としてばかぢからを発揮する瞬間。例えば、お父さんの馴れ初め話、デイジーの真面目顔、夏目氏のエヘラエヘラ顔、そういうのを見ると、ああ、こういう芝居も、いいなぁ、と、ホロッときてしまうのだ。
殊更なところを削れば、もっともっと、かるーいクセに油断のならない連中になるはずだ。

③ 横田君。君の話は、ちっとも不思議じゃないよ。全然不思議話になってないよ。
でも、そこで、そんなちっとも不思議でないことを不思議だと思って、芯からそう思って、みんなに真面目にお話してしまう、そんな横田君の心のあり方に、みんな、興味を持ってしまうのだろうと思います。それが、タテヨコ企画の芝居の魅力なんだろう、と。
でも、あんな話に、「不思議話」というタイトルをつけちゃ、いけないと思うよ。やっぱり。

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