2007年1月22日月曜日

カラフト伯父さん

泣いた。

泣かせにかかる芝居は(どちらかといえば)嫌いだし、感動をありがとう、なんてヤツには知らんプリだ。

が、泣いた。高橋源一郎が「ゴン、おまいだったのか」で泣くように。奥泉先生が「リトルダンサー」のタイトル聞いただけで泣いてしまうように。猫バスが森を疾走し出した途端に泣いてしまうように。
当分の間、本当のさいわひはどこですか。と聞いた途端に泣いてしまうかもしれん。

阪神大震災の日、弟が長田の炎の中に居合わせていた、ということを思い出しただけで涙が出てくる。
その時に僕は東京のオフィスにいて、やっぱり何度掛けても電話はつながらなかったのだ。で、やっぱり、僕が神戸を訪れたのはその何年か後。弟の結婚式だった。

でも、罪の意識で情けなくなって泣く、というわけではないんですね。自分をカラフト伯父さんに照らし合わせて泣く、という訳でもないんです。
この話は、神戸の震災の話であり、1945年の東京の話であり、コソボの話であり、スリランカの話であり、カシミールの話であり、ヨルダン川西岸の話である。

きっと、1995年ごろのコソボには、ニューヨーク伯父さんを待っている子供がいて、そのころニューヨーク伯父さんはロンドンでミニキャブの運ちゃんをやってたはずだ。

そういう、沢山のカラフト伯父さんたちが沢山のとおるを思う気持ちとその情けなさを思って泣くのです。

その普遍が、極めて小さな世界、3人の役者の特殊から広がっていくその広がりに涙が出てしまうのです。

若干センチな芝居なだけに、イモな役者がやると観られたもんではないだろう。役者良し。演出良し。
とおる長台詞でかかった音楽は、僕の耳が確かなら篠田正巳さん。それも良し(誰か、本当にそうなのか、そうだとしたらどのレコードに入っているのか、教えてください)。

一つだけ冷静になれなかったのは、ベンガルの正面から見た顔が義父に似ていたことだ。横顔は似てなかったのでほっとしたけど。

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