2006年10月15日日曜日

Shampoo Hat 津田沼

アパートの一室のセット。よく出来てるぞ(後で見たら役者の福田さんが美術担当でした。福田さん、いいセットですね)。

いかにも、「日常の中に違和感が浮かび上がる云々」の現代口語演劇っぽいセットだ。お、五反田団に出てる黒田さんも出てるぞ。これは、ますます、「現代口語演劇」組か?
一つ引っ掛かるのは、客入れの「おセンチ」なBGMだけど。

と思ったら、(引っ張りすぎて済みません)全然違いました。
今日は大変なことになるかもしれないと、登場人物達が覚悟を決めているある一日に、全く違った意味ですごく大変なことが次々に起きていく、という、
「日常」のひとかけらも無い、強烈にぶっとい物語でした。

役者も達者な方が揃っていて、それは、それで良い。

が。
物語がぶっと過ぎて、団地6畳等身大では、収まらないのではないですか?
あるいは、1時間40分では収まらないのではないですか?
あるいは、この設定・舞台・演出・役者陣で、ぶっとい物語をやるのは、無理がないですか?

観客として言えば、ぶっとい物語について行くので精一杯の1時間40分、終わってみれば、もっと興味が出てしかるべき登場人物たちに対して、何の興味も無いことに気がついて愕然とする。
舞台の上の物語が出来上がっているために、舞台の外の物語(「台詞で示唆される物語」じゃないですよ。「観客が勝手にあれこれ想像してしまう物語」ですよ。)に対して興味が沸いてこないんですよ。

やってる役者も、実はそう思ってないですか?
物語に乗るのは良いけれど、外の世界への想像力が、見えなくなってないですか?
照れ隠しのように挿入される「日常レベルに落とした会話」「異能ギャグ」、単品では面白いです。
でも、ちょっと、取ってつけた感あり。あるいは、「これくらいなら出来るよ」的な、センスの誇示。
もっと、別の切り口で、僕等の想像力を喚起させる余地はあったはず。物語要素・ギャグ・役者をぎゅっと削って、観客に任せても良いと思いますよ。

一言でいうと、センスと達者な役者の無駄遣い。
次回来るかは、微妙です。

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