2006年10月8日日曜日

乞局 廻罠

冒頭シーン良し。
下西・秋吉の掛け合い、予告通り「後味の悪い」芝居を期待させる。

で、観終わった感想は、
「悲惨な芝居にするために登場人物を死なせたり気を狂わせたりする必要はありません」
冒頭のシーンだけで十分後味悪いんだから。

中盤以降、登場人物の身の振り方を作者がキメて行こう、そうして、物語を収束させよう、というモメンタムが大きく感じられて、失速する。
すなわち、登場人物すべてに対して勧善懲悪の辻褄をつけるまでは死に切れなかった、「南総里見八犬伝の滝沢馬琴状態」である。

そう、思い出した。この間のWorld's endもそうだったが、「登場人物が死なないと物語が終わらせられない」芝居って、実はそんなに無いはずなんだよね。
もっと下世話な言い方すると、そんなシーン、観たくないんだ。客は。少なくとも僕は。
そういうところは、平田オリザの「S高原から」はとても上手なのです。

この芝居、ちょっと勿体無かった。次も観に行くと思いますが。

それで、参考ながら、この芝居のテーマ、「脱出できるのに脱出しない」人々のモチーフ。
砂の女、カッコーの巣の上で、S高原から、冒険王(青年団)、アジアの女、諸星大二郎の漫画(タイトル失念)、駒場走ろう会(特にタイトル伏す)。
直截でくどくなくてメッセージの伝え方がカッコ良い、という切り口だけだと、一番すっきりしているのは、諸星大先生だと思う。
後は、種々の「混ぜ物」がしてあるために、味が深まるというか、そういうことですな。

今回の廻罠は、モチーフを超える混ぜ物に欠ける。もっと物語を離れて(物語をつむぐ作業は観客の勝手な想像に任せて)、混ぜ物にこだわるべし。

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