2016年7月25日月曜日

Wild

16/07/2016 19:30 @Hampstead Theatre

ぼくは、福原充則さんが三鷹の星のホールで上演した「全身ちぎれ節」のことを一生忘れないと思う。どんな芝居だったかは(すみません!)ほぼ全部忘れたが、ただ、千葉雅子さんが出ていて、酒焼けしたような声だったことと、最後の高松泰治さん(オマンサタバサさん)の階段落ちは、一生忘れない。星のホールのバトンの高さまで聳え立つ階段(昇りきった先には何もない、すなわち、そこから落ちてくるだけの機能しか持たされていない、トマソンを地で行くような階段)から落ちてきて、舞台前面から客席に向かって飛び出し、客席最前列の観客の間に着地してうずくまる高松氏!

乱暴だったとか、無謀だとか言っているのではない。あの高さからの階段落ちを、公演期間中、継続して実行するだけの読みと計算を効かせることのできる役者として、高松泰治さんを忘れない、という意味である(あ、もちろん、高松さんは、あなざーわーくすとかシベ少でも拝見していて、他の部分でも役者としてリスペクトです、勿論。ゴキコンは観たことないけど)。

何で、ロンドンHampstead Theatreで上演されている、Edward SnowdenとWikileaksの事件をモデルにした芝居、"Wild"のことを書くのに、星のホールでの高松さんの見事な階段落ちのことを書くのかというと、それは、まさに、
「芝居の中身は横に置いといて、ラストの装置が凄かったんです!」
と言いたいからです。以下、100%ネタバレになるけれども、他に観るべきもの、書くべき事が無い芝居なのだから、しょうが無い。

<以下、ネタバレ>

休憩なし4幕(4場?暗転3回)のこの芝居。舞台はモスクワのホテルの一室。アメリカ政府の超重要情報をリークしたばかりのアメリカ人の青年が匿われているようだ。彼は今、ロシア政府による受け入れの可能性について、「彼」(おそらくSnowden氏を指すと思われる)を介して探っている状況。そこへ、「彼」のエージェントを名乗る女性がやって来るが、彼女が居なくなると全く別人の男がやって来て、その女は贋物だと告げる。さて、誰が見方で誰が敵なのか、青年の運命はいかに。ハラハラどきどきの心理戦が繰り広げられる1時間40分。って、こんなありがちなスパイもの物語の結末なんぞ楽しみでも何でも無いわ。
案の定、ラスト、二人とも同じ穴の狢、所詮はその青年、巨大権力の掌の上で暴れてみせる孫悟空だったね、というお話なのだが。

3場目の終わり。暗転の直前に、主人公の青年がホテルの部屋の壁に手をついて、「アレッ?」という顔をするのだ。そして、4場、自身が巨大権力の掌中に落ちたと自覚しかけた彼が発する問い:「実はここ、ホテルじゃ無いだろう?」 
ハイ、ご名答!!舞台奥の壁が左右の袖に引っ込み、天井が一枚の白布となって吸い込まれ、両袖の壁は舞台奥・劇場の天井へとスライドして呑み込まれ、ホテルの部屋は一気にHampstead Theatreの素舞台へと変貌する。

そして何と、ここからが驚きの展開。素舞台だと思っていた舞台の床が、ここから反時計回りに回転していく。床だと思っていた板が、舞台上手にそびえる壁となる。床に置かれていた椅子、そこに座っていた主人公もそのまま90度回転して、壁から生えた椅子に青年は座り続けている。こりゃ凄いよ。

でもね。

そこまでやっといてだよ。舞台と客席の間の壁について一切言及が無い、もしくは処理されていないのは、不自然、いや、ダサダサだって、誰も指摘しなかったのかい?
それとも、気がついていたけれども処置なしだったのかい? それとも小生の重大な聞き逃しですか?(いや、その可能性は絶対に排除できないんですけどね・・・)

でもね、そこは放っておかれてたと思うんだよね。多分。それでもって、このどんでん返し、すごいでしょ?って言われても、興醒めだ。

終演後、パンフレットは買った。セノグラファーを確かめるため。Miriam Buether。去年小生が観た芝居だけでも、Young Vic の審判、Royal CourtのEscaped Alone、Tricycleの(その後 West Endでもロングランした)The Father、AlmeidaのBoyと、気の利いた舞台美術をたくさん手がけていた! 収穫!(ちなみに野田秀樹さんのThe Beeの美術もMiriam Buetherの手になるものだそうです。小生は観てないけど)。
作者のMike Bartlett、チャールズ3世とかで評価の高い人だけど、こういうありきたりの芝居を「ぼくって凄いでしょ?」って言いたげに作る人だとすると、今後は眉に唾して観なきゃなんないな。

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