2016年7月26日火曜日

An Evening with an Immigrant

22/07/2016 19:15 @Soho Theatre

ナイジェリアからの移民であるInua Ellamsの自作自演独り語り。ユーモアを絶やさず柔らかな語り口の中に、骨太な怒りが真っ直ぐに伝わってくる、素晴らしい90分だった。

ムスリムの父とキリスト教徒の母との間に生まれた少年(Ellams自身)が、ナイジェリアで子供時代を過ごした後、現在の境遇 - National Theatre等での演劇公演が高く評価され、エリザベス女王の園遊会に招待されると同時に、十分な身分証明を持つことが出来ず、場合によっては女王に招待されながら強制国外退去の憂き目に会うやも知れぬ状態 - に至るまでを、自作の詩の朗読を交えて語る。

何だただの身の上話じゃないか、演劇じゃ無いじゃないか、というなかれ。舞台上、観客を前にして演者が立っている時点で既に芝居は始まっている。それが本当の話なのか、フィクションなのかは後から確かめれば良いことで、少なくとも筆者は、公演を観ている間、その語り口、語られるテクスト、音楽、立ち居振る舞いに集中して、とっても面白く観ていられたのだ。

Ellamsが移民としてロンドンに初めてやって来たのが12歳の時、1996年。奇しくも筆者がロンドンに初めて来た年でもある。その後筆者は10年間ロンドンに「職を持つ正規労働者としての移民」として滞在していたわけだが、Ellams氏はといえば、家族全員が身分証明書を騙し取られた挙げ句に1999年にダブリンにやむなく移住、2002年にロンドンに戻ったが、今度は、いつまた国外に追い出されるか分からない(しかもどこへ?)移民として、である。ステータスは違っても、「これは他人事では無い」と思ってしまうのは、今の自分の母国がちょいっとおかしなことになりつつあって、本当に帰りたくなるかも知れない、その時は自分も難民申請だろうか、などと半分真剣に考えているからだけれども、それはさておき、そんなひどい目に遭ってしまう過程で彼が語る、ナイジェリアの学校の寮の思い出、ダブリンのバスケ部の思い出、詩作に関わるようになったきっかけ等々、そうしたエピソードが、彼の柔らかな声質と悪趣味に陥らないユーモアとに包まれて、押しつけがましくなく入ってくる。そういうところから始まるからこそ、「住む」ことを勝ち取るための苦難と、それに由来する、UK政府の役人どもの、場当たり主義でご都合主義で、いざとなると法律と官僚制度の奥に引っ込んで隠れて責任逃れする態度(それは、移民政策というよりも、移民への態度、であると筆者は思う)への大きな怒りが、柔らかなテクスチャーのすぐ後ろに存在していたことに、驚き、また、敬意を抱く。

すっごく怒ってるはずなのに、それを前面に出したアジ演説芝居や、涙ちょちょ切れお涙頂戴物語として自分の語りが消費されてしまうことを拒み、あくまでも90分の「移民との夕べ」を観客に過ごしてもらおうという、そのホスピタリティへの意識の高さと作劇の確かさ。これは、日本でいえば畑澤聖悟さんの懐の深さ、間口の広さ、そして怒りの強さに通ずるものがあると思った。そしてまた、これだけ強い怒りを感じていながら、その怒りで自らの眼を曇らせずに人々に語りかけることの出来るパフォーマーに出会ったとき、それに対して抱く感情は、感謝と敬意。ありがとうございました。

0 件のコメント: