2016年7月19日火曜日

地点 ファッツァー

09/07/2016 20:00 @Ringlokshuppen Ruhr

渇いた身体に水を飲むと胃の腑にしみわたるように、舞台上の色々の事象が五感に突き刺さってきた。地点のファッツアーはNHKテレビの録画も含めて何度も観てきたけれど、今回ほど、音と目に見えるものの輪郭がクリアーに感じられたことはなかったと思う。空間現代の野口氏のテレキャス、山田氏のハイハット、古谷野氏の重低音、窪田さんの台詞、ベルの音、壁についた軍歌の足跡、黒時々赤、河野さんの脚、ストロボ。ああ、これが見たかったんだ、これが聞きたかったんだなあ、と感じた。

その前の公演の閉幕が押したために開演も15分間押して、観客がちょっとざわついているところに、ライプツィヒ大学のギュンター・ヘーグ先生が飛び入りで事前豆レクチャーをしてくれた。まずは、今の日本の社会・政治状況と演劇シーンについて、安倍政権の性質、安保法案や改憲等に触れつつ、東北の震災と原発経由で三浦基・岡田利規・マレビトの会などに言及。続いて、地点のスタイルについて、能や文楽から説き起こして説明。これを15分間で。ドイツ語を解さない小生にすら何を話しているかが分かり易いレクチャーだったのだから、きっとドイツ人にとっても論旨明快、分かり易い導入だったに違いない。そのせいもあってか、本番に入っても客席が集中していて、200人程度は入りそうな、アンダースローと比べるととても大きな小屋だったけれども、空間現代の存在感は全く減じることなく、役者も遠く感じることなく、緊密な空間が生まれていた。と思う(小生のお隣のドイツ人の方はいびきかいていらしたが・・・)。

舞台奥の壁はへなへなにしなる仕様になっていて、役者が張り付くとしなって揺れる。これは面白い効果だな、と思っていたら、色んな事情でそうなってしまった、というだけのことらしいのだが、いや、でも、面白かった。ソンム100年を様々なところで目にしてきた後だからか、舞台上の溝はかなりはっきりと塹壕として認識された。役者同士は対面せず、客席の方を向いて話す台詞が、会話の切り貼りのようにも、切り分けられない群衆の中から湧き出る囁きのようにも聞こえる。そうやって、この上演は、色々な境目を強力に乗り越えていた。芝居だけれどもライブ。ドイツの話だけれど、日本人のこと。日本人の役者だけれども、ドイツの話。6人で演じるけれども、5人の話であり、みんなの事象である。群衆の話だけれども,一人一人のことだ。そういう広がりを持つ素晴らしい作品だと再認識。

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