2009年10月14日水曜日

ままごと わが星 再見

12/10/2009 マチネ

再見。またも泣く。
しかも、「不覚」にも永井秀樹のサラリーマンラップでキた。
本人にはとてもいえないが。何故だ?何故よりによってサラリーマンラップで?

念のために言うが、物語がステキだったからとか、出会いと別れがせつなくてとか、そういう涙ではない。

この芝居の凄さは、僕には、「現代口語演劇の公理系から出発して、そこを乗り越えていく構造と疾走感」にあるんじゃないかと、整理はついていないなりに思われる。

「あゆみ」の時もそうだったけど、この芝居の物語は「ありきたり」で「結構ペラペラ」で「内面を語っていない」といわれればほぼ当たっている。が、よーく考えてみると。
そもそも、「人間の内面は表現できない」。一方で、「内面は説明するものである。せざるをえないものである」。でも、その説明について「それをどう受け取るかは受け手の問題であって、送り手が『表現』によって受け取り方をコントロール出来るものではない」。

だから、「如何に内面を丁寧に表現しようかと考えて積み重ねる演技」と「ビート1拍毎に台詞を乗せて、動きをあわせて、思いっきり拘束されながらの演技」は、内面を「表現していない(できていない)」という点で、また、受け取り方は観客に委ねられるという点で、等価である。

そういうのが、現代口語演劇の出発点なのかなー、と思ったりしている。

あとは、観客を置いてけぼりにしないための「事実と虚構のつなぎ目ののりしろの処理」の仕方で、それを、ちまちまと細かくつぶして目立たなくするのか、今回のようにのりしろも大胆に広く取って、恰も構造の一部のように見せてしまうのか、まぁ、それはどちらかというとテクニカルな問題なのだと思うが、そこの「技」めいたところも素晴しいのだが。

なんで芝居観て泣いちゃうのかとか、現代口語演劇の公理系ってなんだろうとか、自分で突っ込みいれたい部分も多々あるが、今日はこの辺で。

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