02/10/2009 ソワレ
やっぱり、1時間40分の短い時間で状況を説明して、登場人物の人となりを示して、それらの人物の関係性を見せて、事件を起こして結末をつけるというのはとっても難しい。改めてそう思う。高井氏はそれをきちんとこなして見せる。大したもんである。
というとエラそうなのだが、別にエラそぶりたい訳ではない。「こなして」なんていうと、手を抜いてるといってるみたいに聞こえるかもしれないけれど、全然そうじゃない。
そういう風に思ったのは、実は、芝居を観ていて覚える違和感 - それは、状況についてちょっと説明が過ぎる、あるいは、ある人物像についてすこーし深く掘り下げてみる、覗いてみる、あるいは、事件の展開するスピードがすこーしだけ上がる、そういう時に覚える違和感 - は、何故生じるのか。
また、違和感があることについて演出家は(特に現代口語演劇に近いところに位置する演出家は)既に承知の上でそうしているのだとすれば、何故わざわざそういう違和感を生じさせることをしなければならないのか。ということを考えていたからです。
で、その理由は、上で述べた通り、「1時間40分の短い時間で状況を説明して、登場人物の人となりを示して、それらの人物の関係性を見せて、事件を起こして結末をつけるというのはとっても難しい」 かつ 「ほとんどの観客はおそらくそれを要求している」 からなのです。高井氏は真摯にそこにチャレンジしているのです。
ただ、そういう作業は、丸い地球をどうやって地図に落とすかという作業にも似る。
「状況の説明を止める」とか「事件を起こさない」とか「オチをつけない」とか、「物語、要らない!」とか、そういう風にしてもいいじゃないか。そういう人たちもいる。
一方で、説明しきろうとして、3時間、4時間、時には10時間の芝居をする人もいる。
僕は物語もオチも要らないので、観てて楽しい芝居が好きだ。楽しいのレンジはかなり偏っているかもしれないけれど。
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