25/10/2009 ソワレ
東京デスロックを観たことのない方、小劇場演劇を観たことの無い方、是非、先ず、この韓国人俳優達のロミジュリを観て下さい。相当お奨めです。
日本版が、新しくて面白いものを手探りで試しつつ、エッジが立ったまま舞台に「ぶつける」感を伴っていたのに対して、韓国バージョンはいろんな意味での「完成度の高さ」が素晴しかった。
「完成度が高い」というと、何だか前進が止まって守りに入ったニュアンスがするかもしれないが、そうではなくて、この韓国版は、圧倒的な信頼と「出来上がった!」感の中で、内からふわっと膨らんだものを孕んでいた。その膨らんだスペースには「包みこむ力」とか「あたたかさ」とか「拡がり」とか「アソび」とかが生じて、演劇を放射していた。
デスロックの芝居は、これまで「前のめり」でないと観れない感じがしていたのだが、今回、もちろん世界に引き込まれながらも、「背中を椅子の背もたれにくっつけて」楽しめたのである。これは悪い予兆ではない。むしろ、ともすればマニアな人たち(口の悪い言い方だけれど、もちろん小生も含みます)が自分たちだけのモノとして独占したくて仕方が無くなってしまいそうな芝居が、パワーとエッジを失わずに、よりあたたかい、触れても取って喰われない(あちち!ってのはあるかもしれないけれど)ものへと進化する兆し、あるいは進化した証しなんじゃないかと思う。そういう完成度です。
日本版では泣いた。韓国版では、ただひたすら幸せだった。どっちを愛でるかと問われれば日本版。どっちを薦めるかと問われれば韓国版。でも、どっちも好きだ。
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