2007年5月13日日曜日

jorro トライアウト

12/05/2007 マチネ

悪くない。
と書くと、きっと、作・演出は気を悪くしてしまうと思うのだ。

まずは当日パンフのご挨拶から引用:
「台本にセリフはありません」「基本的に言葉はアドリブですが間違った言葉を選んでしまうと致命的」「私達が手段にしているリアリズムは現実の劣化コピーではなく」

これは、客入れ曲のグールドはゴールドバーグ変奏曲を聴きながら客席で読むと、かなりドキドキする。

幕が開くといきなり同時並行の会話がスタート。ポツドールの恋の渦もこうだったかな、あれ、出てる役者もポツドールやsmartballで観た顔だね、って、最初から分かってろよ、と自分で突っ込みを入れてしまうが、みなさん、達者です。
安心して観ていられる。
携帯に着信するとか、人の出入りとか、「プロットだけ決めてる」っていっても、段取りとキューはかなりきっちり作ってあるみたいだし。



そうやって、「きっちり作った芝居を」「安心して」観てしまうことは、実は、作・演出の意図ではないのではないか?
もしかすると、携帯の鳴るタイミングとかではけさえもアドリブに任せてるのか?だとするとかなりドキドキだけど。

と思って観ているうちに、芝居は終わった。1時間45分。悪くない。達者な役者。仄めかされる物語。終わり方(話の落とし方)も良い。

でも、正直な感想はこうだ。
「こんなにきっちり作り込むんだったら、台詞も決めちゃって良かったんじゃないの?」
台詞を決めていないがためのエクストラの緊張感は、残念だが僕は感じられなかった。
むしろ、「あぁ、ここ、ちょっと間を埋めるためにだけ喋ってない?」というのがちょこちょこあって、それが残念であった。

まぁ、僕がそうとしか感じられないのは僕の芝居に対する捉え方が狭いからで、本当は、
A. 台詞が決まっているがト書きが少ない芝居
B. ト書きがきっちりしているが台詞が書いてない芝居
この2つって、等価なんだろう。演出・役者に任すという意味では。僕の視点からだと、
「その場のアドリブの緊張感」よりも
「決められた台詞でも、毎回初めてのように演技する緊張感」
の方が、「好きだ」という、好悪の問題でしかなかろう。
それは、恰も、ジャズのコンボを聴きに行くようなもので、その刺激がとっても魅力的なのは分かる。
ただ、ジャズのアドリブで1音外しても「致命的」ではなくて、強引に正しい音にしちゃってもいいのだけれど、芝居では同じことは出来ないでしょ。ちょっと。
ということは、だ。
役者も、「安全策をとらざるを得ない」んじゃないかい?

それが、僕の思った「安心してみてられた」のに繋がっていたとすると、僕の感想「悪くない」は、作・演出の気に触るはずだ。それは申し訳ない。

が、勝手を言えば、こんなにきっちり作れる技量があるのだから、書いた台詞でもっとギリギリのことをして勝負してほしい。正直な気持ちです。

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