2007年5月1日火曜日

城山羊の会 若い夫のすてきな微笑み

30/04/2007 マチネ

冒頭、フフフ、と始まって、あぁ、岩松さんの町内劇やお父さんシリーズみたいだ、と思う。
(古くてすいません。月光のつつしみ以来岩松戯曲の芝居を観てないので)
それで、芝居にはスッと入っていけたのだけれど。

芝居が終わってみると、一体何だったのだろう、という、腑に落ちなさが残った。何故だろう。

① シーンが変わるたびに、時空に対する集中が切れるから。役者が遠くなったり、遠くにバーカウンターが出来たり、そのたびに、折角それまで積み上がっていた場の空気・匂いが、消されてしまう気がして、勿体無かった。
せめて、暗転で時間を飛ばしても良いので(つまり、一幕物に拘らなくてもよいから)、同じシーンに固定して欲しかった。

② 観客の視点と作者の視点、という意味で、主役・脇役の区別がつきすぎかな。深浦さん・初音さん・大沢さん、みな華のある役者なんだけれど、作者の視点がそこに固定されると、舞台を見渡す観客からはちとつらい。
もちろん、観客が主役に移入して成立する舞台も数多くあるとは思うが、岩松型の芝居にそれは無いのではないか。
もっと、焦点が複数ある芝居を作る技量は十分にあるのに、なぜそれをしなかったのか?腑に落ちない。

③ 台詞がテレビっぽいから?これは、僕自身天気予報以外にテレビを観ないだけに、説得力の無い理由だな。

でも、本当に、何でこんなに上手なのに、こんなにピンとこないのか。不思議である。愛される芝居があるのと同様、愛されない芝居もあるのか?本当に不思議だ。

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