2007年2月26日月曜日

弘前劇場 真冬の同窓会

25/02/2007 マチネ
<本稿、途中から大いにネタバレあり>

長谷川さんの新作、福士さん筆頭にした弘劇役者陣。悪い芝居になるわけが無い。なので、良いところ気に食わないところ、正直に書く。読む順番によって失礼になるかもしれないが、結論は「面白い芝居だった」ので、我慢して読んでください。

まず、冒頭の一聴してダサいモノローグ、それも録音もの、に驚く。こんな始まり方、ありかい?
かつ、下手に座っていると客席側の椅子の背で役者が見えない。正面の観客に気を配るからか、椅子の背が下手に来るように、不自然に横置きする。ますます下手からは見えない。

と、まあ、そんなことを忘れさせるテンポでそれ以降芝居が展開。役者陣、良し。さて、後半、どう風呂敷を畳むのかな、と思っていると、<ここからネタバレ>以降に書いたような展開になって、驚く。

それは最後に読んで頂くとして、中盤に福士さんが見せる表情に、「裂け目」を感じてハッとしたのだが、それは、ラストに向けたヒントなのか?そう いうヒントは、とかく弘劇にありがちな、理に落ちる一歩手前の台詞の中や、冒頭のモノローグとラストの、茶の香りで劇のフレームを作るところにも隠れてい るのかもしれないけれど。

終わってから、「ヒント探しに」と、思わず上演台本を買ってしまいそうになったが、やめた。戯曲の解析は演劇評論家に任せておこう。今日は、お客 さんとして「いろいろ分かんなかったけど、面白い、かつ、「裂け目」を感じることの出来るいい芝居だった」と言って帰ることにする。

英語の台詞は、でも、ちょっと苦しかったな。本当にネイティブに近い人を使うか、それとも、インチキで英語使ってるのかそうでないのか最後まで分からない、という風にしないと、今回の使い方では、ちょっと、ね。

<ここからネタバレです>

何と、福士さんと冒頭モノローグの女性、その2人を除いて皆さん死者ですと。うーむ。
一体、彼らはいつ死んだのか。死者の時間は、どこでどう止まって、今はどう流れているのか、分からない。持ってる携帯は最新式みたいだし。
それは、死者には死者なりの時間が流れているということなのか?なぜ突然帰ってしまうのか?カラータイマーがあるのか?
それとも、
生者2人は毎年同じ日に会っているそうだが、そこでは毎年同じことが繰り返されるのか?それとも毎年ちょっとずつ違うのか?
先生が「もう会えないかもしれない」と言うのは、それは、今は成仏してないということなのか?
それにしても何故あの2人なのか?

そこら辺のヒント、きっと、戯曲を読み返すとちりばめられてるんじゃないかと思うんですが、どうでしょうか?
ヒントすらないとすると、ちょっとオープンにし過ぎてる気もするし。誰か教えてください。

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