2010年1月11日月曜日

青年団 カガクするココロ+北限の猿二本立て

02/01/2010

妻・娘を連れてアゴラへ。
この二本立て、実は余り冷静に見ていられないところもある。僕はこの二作の初演に、妻はカガクの初演、北限の再演に出演している。娘はカガク・北限の旅公演に随行した。本人は旅に行った記憶はあるが、芝居は覚えていないらしい。
僕は初演以来、どちらの再演・三演も観ていない。だから、カガクは1990年以来、北限は1992年以来、ほぼ20年ぶりに目にすることになる。
どうしても、自分の演じた役(かなりシャッフルはされていても)と比べてしまうところもあって、また、色んな余計なことも思い出してしまって、まぁ、それはそれで良いのかも知れないけれど。

「カガクするココロ」では、「過剰なことをする」余地が役者に与えられて、「おいしい」場面を随所にちりばめながら芝居が崩れないところに、1990年当時と比べて役者が格段に「上手に」なったんだと改めて思い知る。後に「東京ノート」でとんでもない完成度となる「現代口語の会話」のオーケストレーションの織り上げ方は、この芝居の時点ではそれほど緻密ではなかったのかなぁ、ということも考えた。

「北限の猿」は、「カガク」よりもオーケストレーションの度合いが上がる。役者もそれに応えて、よりまとまった感じ。オーケストラの音がぴったり合うと、むしろ音量が小さく聞こえる、と聞いたことがあるが、それに近い感じ。が、パス回しとアンサンブルが優先された分、破れのある瞬間が見えにくかったかもしれない。

カガク・北限、設定は似ているし、同じ「青年団の現代口語演劇」なんだけれど、作劇と演出の意図・カラーは違っていて「あ、だからこそ二本立てにしても大丈夫なんだ」と気が付いた。

カガクするココロの初演から20年経って、自分はすっかり取り残されてしまったけれど、「カガクするココロ」のざらつき方は、当時の「平田オリザが現代口語演劇に熟達するプロセスにおける、本当に過激に、ただ、だらだらしていた作品」を思い出させた。戯曲が「やぁ、しばらく」と言って迎えてくれたような気もして、ちょっと懐かしかった。

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