25/01/2010 ソワレ
柴幸男氏が「他人とは思えない」と呼ぶソーントン・ワイルダーの "Long Christmas Dinner" のリーディング。1931年に書かれた90年間を描く芝居を、40分で。
始まって驚く、こんな戯曲が80年前に書かれていたとは。かつ、この、平田オリザもビックリ、「なんでもない会話」を使って、かつそういう台詞を思いがけなく再登場させたりして、それがぐっと来る。
柴氏の言う「時間が変な流れ方をする」というのはまさにその通りなのだけれど、実は今の小劇場の観客は「回想シーン」とか「時空を超えて」みたいな「時間の流し方を変にする仕掛け」は80年代以降30年にわたって存分に味わってきていて、むしろ、「暗転多用して時空飛ばして世界を広げるのって、ちょっとかっこ悪くて恥ずかしいことだ」と思い始めて、平田オリザが出てきて、それから、時間が変な流れ方をする芝居が減った。
でも実は平田戯曲は、時間の流れ方のウソのつき方がより巧妙になって、実時間とのズレが指摘しにくくなったということでしかなかったりする。現実と虚構を繋ぐのりしろの処理が上手になった、ということでもある。チェルフィッチュ岡田氏とか、柴氏の「あゆみ」とか「わが星」とかも、今回も、「技術的には」そう。
役者の身体は実時間に正直に動かざるを得ないから、そこはきっかり40分。観客にも、実時間を過ごしてもらいながら、虚構の時間90年も観てもらえる(かもしれないし、ダメかもしれない)。そのギャップに茫然とするのではなく、物語に身を投げてもらうでもなく、それを味わってもらうこと・・・
身体は実時間に正直で、テクストは虚構の時間を流すことに向けてウソをついてくれる、あるいは、ウソの裏打ちをしてくれる、となると、やっぱり役者がどれくらい自分の身体とテクストとの間に距離をとれるか、ということか・・・な?
年明け以降、青年団⇒アゴラWS⇒Castaya⇒快快⇒地点⇒ままごと、と、テクストと身体の距離感についてかなりゴツゴツと表立って考えざるを得ない機会に恵まれている。結論はでないんだけど。
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