2010年1月24日日曜日

快快 インコは黒猫を探す

22/01/2010 ソワレ

インコは可愛い。いや、カンちゃんもキーチも可愛いし、師岡・黒田ペアも可愛い。板橋インコですら、可愛い。可愛かった。
が、この芝居はインコの話ではなくて、3人の若者の青春の話だ。
身も蓋もない言い方だけれど、これは、甘酸っぱい青春の話だ。20台の人々にとっては青春はいつまでも現在形で、3年前も今も、どちらも青春だ。当たり前だ。でも、40をとうに越えた僕にとっては青春は常に過去である。あからさまに過去である。

だから、青春の芝居を観ると、
「あぁ、この人たちにとって青春はいつまで現在形であり続けるのだろうか?」
と、どうしても考えてしまう。

青春が過去になる瞬間は、いつか、必ず来る。それを知ってか知らずか、この舞台は、現在の幅を過去にまでぐぐぅっと広げて、また、体力の輝きとインコの可愛さを梃子に観客席にまで青春な空間を広げて、あたかも現在を無限に広げようとしているようにも見えた。だから、「インコは黒猫を探す」は、青春群像劇であっても、青春のひとコマを切り取ってみせる試みからは対極にある。青春のひとコマを出発点にして、「体力の続く限り」「チャーミングさの賞味期限が切れない限り」青春の千年王国を築き、拡げ続ける試みなのである。

それが、せつない。

篠田演出だったら、このテクストはもう少し「言葉寄り」に上演されていたのではないかと思う。より「身体寄り」な野上演出が良かった。体温がちょっと上がった分、舞台も暖かかった。ポストパフォーマンスダンスも満喫。最初に舞台に上がる数学の話をする人がRafael Benitezにそっくりで、もう、冷静に観ていられない。篠田千明の前説も良し。ちょっぴり大人のバランスを入れて、客入れと上演を繋いでいた。

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