19/09/2009 ソワレ
京都芸術センター初見参。
最初から「3時間30分、洒落になんないくらい長い」と聞いていたので、館内前田珈琲で事前に食事。ハヤシ大盛り、カフェオレ、とってもおいしゅうございました。まずこれで京都芸術センターのファンになりました。5時半に夕食とはちと早く、しかも眠い芝居だったら即落ちるのは確実な量を食べたのだったが、杞憂に終わった。
現代アメリカ戯曲で、しかもレーガン時代、HIVがまだ「ジャンキーとホモセクシュアルに特有の病気」という誤解を受けていた時代、の話だから、「アメリカ帝国の滅亡」(あれはカナダの話だけれど)みたいな話なんじゃないかとも思っていたのだが、いやいやどうして、べったべたな愛の物語であった。そして、とっても面白うございました。こんなべったべたな話なのに、どう僕の嗜好と波長が合ったものやら、(けっして身びいきではないぞ)3時間50分、まったく飽きなかった。、
冒頭出てきた杉原「出たがり」邦生の前説には、「こいつ、またも出たがり演出か?」とも思ったが、案外おとなしく、タテヨコ企画の「ひょっとすると芝居より面白い、役者には迷惑な主宰挨拶」ほどではなかった。まず、よし。
全編通して何といっても目を引くのが、「183cm、低音の魅力」前回の田中祐弥で、文字通り最後まで目が離せず。松田卓三とのカップリングもバランスよし。前回拝見したのは「14歳りたーんず」の中屋敷組、お兄さん役だったのが、いきなりこれ。杉原邦生の慧眼。というか、この役者をお兄さん役で使った中屋敷氏の慧眼、というべきか。
プライアー・ウォルターはバイユのタペストリーに名前が縫いこまれてるそうだが、バイユにはあっしも訪れてタペストリー見たたことがあって、ぐっとプライアー一族が近くに感じられる。それもよし。
坂原わかこ、よし。外見は欧米人の「肉欲万歳!」からは遠いところにあると思うが、ただの「みゆき風な夢見がち」に陥らず、観ていられる。田中・坂原の妄想が交錯するシーンがぐっときて、それから一気に引き込まれた。
脇も池浦さだ夢、森田真和の変態コンビが素晴らしく、飽きさせない。藤代敬弘のアフリカン・アメリカンのゲイも妙にはまって好感。
装置も面白かった。というか、パネル倒しで三角やロープやてっかん結びの気配やウェイトが見えると、20年前自分でやってたことを思い出して、懐かしいというか、好感持てるというか。洗練は感じないけれど、ガツンと勢いで勝負するところが邦生らしい。
80年代半ばの「アメリカでいいじゃないか」という内向き保守的な感情と「ミレニアムorノストラダムスまで10年ちょい」という滅びに向かう感覚のミックスは、時に現在の小泉時代以降の日本の感じと似ている気がする。だから、日本の若い役者を使ってこの戯曲を「今」上演することに、(いつものオレらしくもなく)意義を感じてしまったりもした。
客席に空きがあったのは、これだけ面白い芝居なのでとってももったいないけれど、一人で3・4人分くらいアクのある観客がたーくさんいらしてたから、それも良いのか?いや、よくないだろう。関西にいてこの芝居見逃した方、後悔してください。
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